2019年11月24日日曜日

思いのほか失敗 Gジャン1stモデル 

Gジャン作りのための試作をシーチング生地で作ってみた。

今回は初めて市販のパターンで挑戦しようと思っている。


今までは図書館で借りたメンズソーイングの付録パターンを活用していた。
デニムパンツ、パジャマ、ステテコ、シャツ、トランクスなど、一通りとまではいかないけれど、まあまあ作った。

市販の本を重点的に活用していたが、市販本についてはメンズパターンという世界は狭い。出版されている冊数というか、著作は少なく、選ぶことを許されない。まるで社会主義国を彷彿とさせる。メンズパターンの著作の世界はそんなニッチな世界でもある。それだけ熱烈なミシン男は全国で十人足らずである。世界レベルでおそらく200人くらいだろう。世界の社会主義国のミシン男を全部数えても5人も満たないだろう。200人とは多くが民主国家の経済資本主義の金欲にまみれた人々のDIYだ。

シーチングで試作を作った。

サイズを確認したい。出来上がりサイズは2Lなのだが、袖を通してみると窮屈だということがわかった。本番の生地を使っていきなり作らないで正解だった。試作段階なので失敗することで、よりよい完成に仕上がることが期待できる。

失敗は成功の元というし、失敗を笑うのはよくない。失敗こそ人生の醍醐味である。

腕の周りがきつい。
胸囲もきつい。
肩幅はぴったり。
丈もよい。
カフスもぴったりだろう。袖の開き具合はやや窮屈だ。

全体的に、細見のパターンだと知って買ったのだが、デニムを洗うと縮むので細見から極細になりおれの体形には無理がある。縮まなければ着れなくもないが、必ず少し縮むから見越してゆとりある仕上がりになるよう調整が必要だとわかった。

ここからはパターン補正になる。
図書館で借りた本のパターンもやはり補正をしないと自分のサイズには合わない。これは売り物のパターンでも同様。売り物だからサイズが合うなどありえない。標準体型を基本に作られたものだから、当然なのだ。

体形に合った服を着るということは仕立て屋さんに行くなりして自分のオーダーメイドを作るのが本当の意味で理想なのだと思うが、そんな世界はテーラーさんが大流行、既製品という概念が覆るということになるので市場原理からしても難しい問題だろう。

補正は自分でCADを使えるなら簡単なのかもしれないがアナログで手直しだ。

最初、試作段階では雑に作ったので生地の表裏を間違えたり、手順がわからなかったり、色んな間違いに気づいた。袖を通せるようにまでこぎつけたが、袖を通してみるとサイズ感がわかった。微調整で軌道修正ができるようだと感じたので改めて補正したパターンを作り、厚紙に写してカットした。

補正したパターンで再び試作する。シーチングは1メートルあたり100円程度と安い(日本の物価水準で考えるという条件付き)。W幅(150くらい)なので遠慮なくじゃぶじゃぶ使える。失敗しても知れている。試作1号機はおよそ3メートル程使ったかどうかというくらいなので、300円で完成イメージをつかめるのと、練習もかねてミシンを動かし、遊べるわけだ。今時、喫茶店でコーヒーも300ではなかなか飲めない。300円で2日間かけて試作したので十分元は取れただろうか。

問題は、2日間自宅軟禁状態なので運動不足に陥る。散歩でもしなければどうしようもない。

1stモデルとは何ぞ、と検索すると出る出る。
(今回試して購入したパターン Full Of Patternsより)

うんちくはさておき、自分は今回のGジャンでどんな仕様に仕上げるのか、検索で見つけた色んな情報を元に試行錯誤である。

尾錠の針、針なし、形状、ポケットフラップ、ダーツ押さえのためのステッチ、その位置、ボタン、糸の違いや染、生地自体のことなどさらに追及できるのだろう。きりがない。

前に作ったオーバーオールはアイアンハートの写真を中心にデザインを真似た。真似から自分のものにすることを批判する人もいるかもしれないが、俺は商売ではないのだから何をコピーしたり真似したりするのは完全無欠の自由なのだ。むしろ、パターンに著作要素はあるのだろうか。パターンに記載された文章なら著作ととらえることはできるのだろうか。

補足すると、アイアンハートの写真を見て参考の一つにはしたがほかのブランドのディテールも市場調査したり、違うジーンズ製品の仕様を参考にしたり、あらゆる分野のアパレルを様々な角度から見聞きし、経験した総合的な見地から俺のオーバーオールは完成に至った。

問題は、あまりにもアイアンハートのオーバーオールに寄せた仕上がりになったので、もしもアイアンハートのデザイナーさんが散歩する俺を見たとき、、よく見るとこのおっさんの着ている服、えらいアイアンハートのオーバーオールもどきのデザインだなぁ・・・と、思わなくもないかもしれない。かもしれない・・・である。

ないとは思うが、もしそんな場面があったら断っておく。一声かけてくれたまえ。

著作について、もう一つ。

散歩していると時々見かけるが、店の看板にドラえもんとかミッキーマウスとか、鉄腕アトムとかキャラクターの絵を描いたのを見かけたりするが、どうも許可を取ってないのじゃないかと思えるような看板を見かける。あれはアウトだろうと思うが、いちいち訴訟を起こす手間を考えて訴訟しないということを逆手にとって悪用しているとしか思えない。やっちゃった感満載だ。度胸がある。

料理レシピも同様、レシピ自体に著作はないと聞く。
俺のオムレツは卵3個、塩、油を使う。これは著作ではない。誰でも大体同じである。

なかには牛乳30cc入れる人、油はオリーブオイル、胡椒も入れるなど色んなレシピやアレンジはあるし自由に誰でもオムレツを作る。そのレシピを使って作ったオムレツを誰が真似しやがって!と批判するやつがいるだろうか?

真似やコピーは社会規範があるので時代に即した立ち回りが求められるということに尽きる。


おわり















2019年11月21日木曜日

ファーウェイ P30liteの印象 尻割れズボン 冬支度のための考察 

HUAWEI P30liteの印象は悪くない。結論は、中華スマホ万歳である。

比較するほどの経験がないので具体的な基準はないが、、俺は使ってみて不便で使えないということはない。むしろ上物だと思う。中級機という位置づけらしいと何かで見聞きしたが、上を見てはきりがない。

OCNモバイルONEの料金プランの一番安いヤツ、音声通話付きのSim、一日110メガで十分使えている。

最初、110メガと聞いて、大丈夫かと思ったのだが、全然問題ない。10ギガ、20ギガ、30ギカなど容量の多いプランもあるが、それほどのヘビーユーザーではないと実感した。しかし、不足があれば月単位でプランを変更できるようだし、110メガを超過しても翌日には再び110メガを使える。しかも残った分は翌日までに限り繰り越せるようだ。

キャリアと呼ばれている会社の場合、月々の支払は1万近くするようだし、それに比べると1600円+Tax、通信使用量に応じた料金だけなので親切会計だ。

もちろん、いろんな格安スマホ、会社があって選択肢や組み合わせ次第でより豊かなスマホライフを満喫できるようである。

しかしながら、つい画面に夢中になりうつむいてしまう姿勢はいけない。周りが見えなくなるので危険極まりない。路上などではマジで車にひき殺されそうになる。

いい面、そうとは言えない面があるので今後の使い方もどうなるのかわからないが、それまでのガラケーに比べると別人、別物だということだけはわかった。知らずに済めばそれはそれでよかったのだが・・・そのうち5Gが当たり前の季節だろう。残念なのは国内メーカーの元気のなさが気になる。もう、スマホ業界は他国メーカーに完全に置いてけぼりのようだ。

決定的な問題は、PCのキーボードのようなピッチでの操作と違ってスマホの小さな画面上をタップする感覚、操作感はどうしようもなく、おもちゃ感をぬぐい切れない宿命だろう。

30年前の中国は、子供なんかは尻割れズボンをはかされ、催したらそこら中の道端で・・・多分、あのころ見た子供世代が今の中華スマホの世界を席巻している主流のエンジニアなのかと思うと、感慨深いものがある。このようなことを世間に発表してわからない人も多いだろうが。

真冬の寒い時期でも父さんは息子に尻割れズボンを穿かせ、肩車して街を歩いている後ろ姿が俺の中国の印象の一つとして焼き付いている。



しばらくぶりで休暇中のミシンを引っ張り出し、注油と簡単な動作確認、整備をして再び休んでもらう。現在、Gジャンを制作予定で型紙を買った。一度シーチングで試作してから本作に入ろうと意気込んでいる。サイズ感を確かめたいのと、作ったことのないGジャンをどんなふうに俺仕様に手を加えるかをシュミレーションしたい。

一つのGジャンで試作、本縫いと二度遊べる。

今のところ、計画は以下の通り。

セルビッジデニム、12.5ozくらいの岡山産生地。
いわゆる1Stモデルを踏襲しつつ、ポケット、革パッチなどに独創性を込めたい。
主張しすぎない、控えめなデザイン。むしろ地味と言えるかもしれないが、1Stモデルと言われている表情は大きく変えたくない。

試作ではサイズ、ポケットデザインやその位置決め、袖の空き具合(袖まくりしたときの窮屈さがないように仕上げたい)、欲張って内ポケットやネーム刺しゅうも計画に含めるかどうかをグダグダ迷っている。

寒い冬が近づいてきた。急がねば。








2019年11月14日木曜日

self-taught  ジモティーで不用品処分できた

ミシン整備、洋裁、いずれも素人ながら独学。

世間で控えめな方は、どこかの教室で学んだとか、誰かに教えてもらったという人も多いのではないかと思う。

私はそういった枠組みには属せず、というよりそんなコミュニティに属することが出来ないし、こんなやつでもと、許して仲間として受け入れてもらえないという見方次第では残念なヤツだ。誰か特定の人物にコーチしてもらったことはない。

独学なので自分のためであって、ある意味誰からも文句を言われず、あらゆることでも自由だ。

どこか洋裁教室に通うと、指定のミシンや用品の勧誘と掟に従い、手取り足取り指導してくれるだろう。幸い独学はそんなしがらみはない。

独学たる所以の情報源は本、ネット、販売されている商品を見るのも実地勉強になる。生地を見て触るだけでも大いに有効だ。町ゆく人の着ている服を見るだけでもいい。

独学という響きはどこかしら偉そうに聞こえなくもないが、教わることが出来ないとても残念な状況だといえなくもない。

学ぶという意味でガッツがあるようにも聞こえるが、独学故の偏った情報や知らないこともたくさんあり、結局遠回りしているのか最短距離を突っ走っているのかわからない。

目標とする到達点は自分で決める。俺の洋裁は独学でマスターした(つもりだ)が、現在の到達点を客観視すると、世間的には中級者クラスかというところだろうと思う。しかし、初心者の人からしたら上級者に見えるかもしれないし、反面、本当の意味で洋裁のプロからするとただの素人だ。そもそも独学の領域をクラス分けするのに無理があるのだが。

従って、今後も知らないことを行き当たりばったりで頭を打ちつつ体で覚えるのだろう。

これからの途上もまたよしである。

素人・・・で思い出す。販売サイトの写真を見ると、素人などと到底思えない出来栄え写真はときに感心する。どのようにして素人ととらえればいいのか境界線はわからない。素人と言いながら、きちんとしたプロダクト製品だとしか思えないような作家と言われるような、個だが相当な技能を追求した人達がいる。見習いたいが、とても真似できない。

素人と作家、プロの境はあいまいなのだとも言えるのか。いやいや、歴然としてるよ。

ただ、同系列で比較するには無理があるように思う。

素人の俺は、自由に好きにしているから製品を作るわけでもないし、売り物であるはずもない。売らないし売れるはずもない、売らない。

作りはするが、個人で楽しむ趣味の領域という表現が近い。しかし、趣味という領域と違う次元だと思っている。俺独自の世界観を醸していると自負して創作している。それを趣味というのよと言われればそれまでだが。

一方、DIYという言葉は広い意味かと思うので、独学よりもDIYとするのがいいかもしれない。軽いニュアンスだし、がっつりDIYもあるだろうし、ちょっとDIYとか、なんちゃってDIYとか、DIYもどきとか、似非DIYと、本気DIYとかあげるときりがないくらいどんな表現でもマッチするな。

独学などさておいて、DIYで幸せと人生を考えよう。


先日、ジモティーで台車を譲りますとしたら、希望者が殺到した。
およそ、10年ほど前に引っ越しのために使うからとホームセンターで7500円くらいで買ったよく見るタイプの折り畳み式台車でしばらく使わず保管するにも場所がもったいない。

500円で募集したら、希望者が殺到した。希望者に返信が大変で、中にはただ、頂戴としかメッセージをよこさないヤツや、自分の都合ばかり言ってくるやつなどだらしなくきちんとした内容でないヤツなど大勢いた。

さすがに古いといっても機能するし、故障もない。くどいやつがいて、故障はないのかと散々念を押してくるヤツもいた。500円だからだろう。画面では動く様子は確認できない。買ったとたん壊れたら困るということだろう。

値付けの500円はさすがに安いと思った。連絡くれた人にすべて断ってから改めて2000円でと募集したところ、問い合わせが止まった。価格設定が高すぎたかと案じたが、間もなくきちんと取引出来そうな人からの連絡があって何度かのやり取りで気持ちよく引き渡しまでこぎつけた。安すぎる価格設定はかえっていい加減なヤツが寄ってきていけない。適正価格というものがあるのだとつくづく思った。




おわり










2019年11月10日日曜日

人生で重要なことは

最近、閲覧履歴が微増して驚いている。

半年前、毎日のように書いていたが、読者数はゼロの連続で誰も読んでいる気配はなく気分良かった。ひたすら自由にぼやいていただけだからだ。もちろん反響もないし、誰にも読まれることのない俺だけの世界だった。と思った。

どういうわけか、読者はゼロベースで書いてきたつもりだが、最近は誰かが読んでいる気配がある。これはおかしい。俺は誰も読みもしないだろうと思って勝手なことを書いていたし、ほぼ自分のことを書いていた。

そんな与太話を誰かが読んでいるのだ。

これはまずい。

人から見られるとなっては自分の行いを見張られているようで、どうも居心地が悪い。

これはブログなので出入り自由だからもちろん誰が読むかはわからないし、誰にでも読んでもらって良いのだが、始めた当初は読んでくれる人がいるかもしれないとちょっと期待したり、誰にも読まれていないだろうと安堵した。

読まれたいという承認欲求は俺にもあるのか、読んでもらえることは正直言って素直にうれしい気持ちもある。

社会の中で生きている証なのだろうと思うが、初心に帰ると、誰からも読まれずであってもいいことだと思って続けていた。

問題は、己の「承認欲求」だ。

誰かに読んでもらったら、こんな意見でも受け入れて欲しいと思っていたり、批判を受けたり、賛同してもらえるなどと考えながら書き進めることがしんどくなってくるかもしれない。正直なところ、ビビっているのかもしれない。

まだ自分自身の見張られ度合い、居心地悪さは深刻でもない。

ここまで書き進めてきたのも自分の考えの整理のためでもある。ついでに読んでくれる人がいるのは困るわけでもないし、むしろありがたいと受け止めている。

そもそも、時間つぶしに付き合ってくれたら良いくらい・・・という程度ではじめた。期待されるようなことは書いていないし、書けないと思う。その通り。

どこかに誰かからの期待に応えたいという、頼まれもしないのに責任感が芽生えることもあるのかどうか。そんな自分を慎重に見極めてみたい。


このブログ内容と同じ、人生で重要なことなんてないに等しい。

仕事も必要だろうか。大切な仕事などそれほどないのではないかと思う。
真面目に働いているのに時々我に返るとばかばかしいと感じる。

あなたの仕事は重要ですか?本当のところどうでしょう。

重要と思っているけれど、実はそれほどでもないということもあるでしょう。働かないと飯が食えない。というが、そうだろうか。みんなが一斉に「辞めた!」となれば、本当に大切な仕事が見えてくるかもしれないだろうが、余計なことばかりしてパワハラ、モラハラ、いじめ、誹謗中傷、人のせいにする。本当の仕事をしなければいけない時にそんな暇なことはできないはずである。

いかに余剰な人員を抱えて社会が成り立っているのか、見方を変えるとそんな風に考えることもできるのではないだろうか。

いかに働いているふりをするのも大事だ。遊びながら給料もらう生き方であろう。多くの人を養うことを社会的な暗黙の合意があるのかもしれない。

あなたが先か私が先かはわからないが、いずれ死ぬ。それまでの暇つぶしに考えを巡らせよう。

こんなブログだが読んでくれた人に感謝。

おわり



ファーウェイP30lite  答えは急ぐわけではない HUAWEI P30lite 華為

ファーウェイP30liteである。

格安SIMフリースマホである。

OCNモバイルで4800円で手を打った。


キャンペーン出だしのころ、4800円MNP割引本体価格から5000円キャンペーンを逃したが、それでも4800円+Taxは安かったと思う。

料金プランも最安のランクを選んだので月々1600円+Taxである。

今までキャリアと呼ばれるソンさんのガラケーだったので通信料金合わせて月額2000円もかからなかった。安かったのだと思うが、年間にしたら24000円はせしめられるし、機種本体代金や付属の充電アダプターとかオプション周辺のものを買い足したりするのが一般的だろうから年間にするとおよそ3万円ほどのコストがかかっているのではないだろうか。それでもスマホの無制限とか通信にかかる費用を貪ると到底そんな程度では済まないだろう。

携帯電話のない時代、黎明期から考えると情報収集のためのかかる経費として生活スタイルは少しずつ支出が増えた。もう家の固定電話だけの時代ではない。

同僚に聞くと、キャリア(ドコモ)を無制限に使い、機種代金一括でも月々1万ほどかかるし大したことをしゃべるわけでもなしにゲームだの、アプリ代金だので年間20万近くかかっているかもしれないという。そいつはマイホームなどとっくの昔にローンも払い終わり、子供も独り立ちしている。甲斐性のあるやつなので俺のような貧相なヤツとは比較にならない。俺は20万と聞くだけで条件反射的に拒否反応が現れる。無理だ。

先に述べた住宅をローン返済すると、人生のほとんどを返済のために生きることになるという社会プログラム、資本主義の約束事に従わなければならないように仕組まれている。日本のマイホームの価格帯は生涯年収から割り出し、逆算して値付けしているとしか思えない。そういうことなのだろう。

ほか、物欲はご存じ、車や趣味にかかるし、子供の教育費、交際費、酒代、たばこ、医療費と考えると通信費は増大する一方だ。しかし、肝心の収入は減ることはあっても増えることはそうそうない。楽観的に起業して成功の道のりを順調に進むことが約束されているのなら誰しも雇われる宿命からは解放されるのだが、世の中そんなに甘くない。

成功の道のりと書いたが、何が成功なのかしら、それすらよくわからなくなる。使いたいだけの金があっても、いつか飽きてしまうだろう。際限なく欲望を満たし続けた先に一体何があるだろうか。

一番安い価格帯のモデルを選んで、安い料金プランの範囲内でせいぜい遊んでみるのが自分には相応しいと思う。上見るときりがないし、世間の色んな広告見ると目移りしてしまう。

・・・という欲望は選んで手に入れること、高根の花を目指したいならそれに向かって頑張ることもよし。若かったころの自分はそんな思い込みもあったが、おっさんになってきたせいか今はそんな情熱が失せた。

情熱が失せたという表現は正確ではなく、今の時点での情熱は若いころ抱いたような性質のものではなく、違う形態のものに変化しているのだと思う。あの頃、必死に何かを追いかけていたし、その何かを実はよくわかっていなかったようにも思う。だから今追いかけているものの対象物は何かがわかっているのかという問いには「いや、わかっていない」

スピードはあったが、常に背中しか見えなかった。後ろ姿というべきか。今もわからないなりに何かの後ろ姿をとらえようとしているが、都度その動作や行動自体を噛みしめているという感じだ。だんだん何を書いているのかわからなくなりそうだが、答えを急ぐ必要はない。







2019年11月9日土曜日

スマホは模型  持ち物で自分をはかることはできない

残念な書き出しで始めよう。

金持ちにはなれなかった。
位の高い地位につくことはできなかった。
友人にも恵まれず、仕事でもぱっとした成果を上げたわけでもない。

得られなかったものは多いけれど、なければないで何とかなった。

ガラケーの3Gがとうとう利用できなくなるサービスが現れ、強制的に利用できなくなってしまう。そんな節目に差し掛かったので仕方なく格安スマホである。

携帯電話などやめようとも考えたのだが、今しばらく世間とのつながりの証のような、シンボルめいたものをチラつかせることで人間社会の一員の振りをするという選択をした。

ならば模型でもよかったのだが、この際だから遊ばせてもらおう。(遊ばれているのかもしれないが)

この俺も晴れてスマホ社会の一員である。今更である。めんどくさくもある。もう、思い出せばWindowsが98のときにパソコンを始めた。なんだかんだ20年経過したのだ。エロサイトを見てウイルスにやられてしまったことも、かんかんになってエクセルを覚えてマクロと関数を多少なりとも使えるようになったことも、覚えたり調べたり、失敗の連続だったが、今振り返ると狭い世間の中で淀んでいた。

使うユーザーは新発売なんかの、いわゆる目新しいものに飛びつくように、うまく買い替えさせられてきたわけで、働いて得た金を巻き上げられてしまう。

一時期は、そんなカツアゲされる側ではなく、する側になってみたいと思ったこともあったが、とうとうそういう下心もなくなってしまった。アホらしい。

そうはいっても、営利企業などで働く以上、誰かを食い物にしているという図式はあるわけで、「食い物」という表現はいやらしい響きだが、だからといってその一面だけを見るということ自体にもある意味「食い物」にされてしまっているように思う。

ソンさんの会社のプレミアム会員を解約しようとしたら、主IDは解約できたが連動したIDの方は連動して解約できるものと思い込んでいたらどうやっても解約できない。よくよく調べると到底簡単には到達できそうもない奥深いところに解約のボタンが小さくあって、なるほど、これだからソンさんは偉大なんだなぁとしみじみ感心した。

いかに裾野を広げて少額をせしめるかを考え抜いたビジネスなのだ。世間ではこれを分かって騙されている。あるいは振りをしているのか、本当にわからずに騙されているのか。

「騙される」というのも食い物にされるというのと似たもんで、だから悪いという一元的な捉え方も危ない。これも何らかの循環がある。オレオレ詐欺などもそういう点でみると不法に巻き上げた金は何らかの形で社会に循環されるのだろうから、詐欺は悪いが流れる金に罪はない。

金があれば何でも買える。
地位が高ければ下のヤツに命令できる。
友人がいればボヤキあえる。

金がなければ、ないなりに暮らしを考える。
地位がなければ上のヤツの命令に従うだけで給料がもらえる。
友人がいないので余計な付き合いもなく研究に没頭できる。

金があると、盗まれないかと案じなければならず。
地位が高いと、保身に走る。
友人がいると、余計なことに口出しされる。

金がなければ、生活保護で守ってもらえる。
地位がなければ、それ以上落ちようがない。
友人はいつか見つかるかもしれない。

あってもなくても、それなりの辛抱も必要だろうがそれなりの、、楽しみもあるのだよ。



2019年11月6日水曜日

今日もいい一日  記憶の断片  無責任な発言でいいのか

聞いてほしい、読んでほしいという承認欲求と、自分への整理のためなのだが、書いたからと言って正しいかどうか、絶対ではないので、今思う自分の中の事実だけを書くように努めているがそれもまた、もしかすると揺らいだりして気が変わることだってあるんだろうと思う。めんどくさい。

PCがあって、キーボードを打てば文字を入力できる。ただ、それだけのことなのだから深く考えずに打ち込んでいるが、なぜか白々しい。

ジーパンづくりも、いかにして作るか、どんな仕上がりになるか、サイズは?、洗うとどんな風になるかなど、どうでもいいことに時間を費やしているのは趣味(ホビー)の世界に没頭できているれっきとした論拠だろうと思う。

ミシンを整備するのにも、埃を払い摩擦する部分に注油するのだが、ひたすら回転運動などを見ながら滑らかに動くギア、軸などを見てニンマリしているだけだ。誰にも関係ないことだし関与せず関与されず、自分だけの世界だからひたすらトンネルの中を邁進している。井戸を掘るような作業にも通ずることかもしれない。ただ、トンネルや井戸は人々の役に立つが、俺のは誰にも役にも立たない。

己のあるがままを受けとめる、みたいな。

ボヤキと文句を繰り返し声高に、世間に発信しているのだが誰かを傷つけてしまっているかもしれず、もしこのブログ発言で傷ついた人がいるなら勝手に傷ついていろと言い、無責任にも適当に書いていることをお知らせする。

もしかして不特定多数の人の目に触れ、読んでくれた人がほんの少し気が楽になるか腹の立つことに溜飲を下げるようなものであってすればと思ったりもする。

自分の中にある漠然とした、人々の役に立ちたいという基本欲求をブログを書くことで提供しているつもりになっているのかもしれない。勘違いかもしれないし、めんどくさいことでもある。

時に記憶が断片に思い出し、ハッとする。


もう、10年以上前、知人が自殺した。

うつ病を患っていた。「うつ病」ということで俺は自分にその知人の死を受けとめるようにしたと思う。今までもかかわってきた身近な人々が色んな最後を迎えた中、その知人とはかなり近い関係だったもんだから、今でもなにがしかの痕跡があるし、俺の中ではまだ死んでいるのではない。残され生き続けると、少なからずこんな経験を積み重ねていくもんだろうというのがここ最近の到達した通過点の一つだろうか。

自分の中で断片がつながり、ちぎれ、また違うつながりができ、記憶が形成される。しかし知人とかかわった人物、人となりは俺の中で元気だったころの姿がある。いいやつだった。

ここでは自分の氏名を明かさずに好きなことを書いている。しかも、近い人のことも含めて、身の回りの出来事を書いている。事実をなるべく忠実に書くようにしているが、あくまでペンネームもなく、公表するような社会的地位もない。対象の人物は特定できないようにしている。であるから、無責任な内容になっていること、具体性に欠けるかもしれないということ、無責任放題の一方的な発言であることに批判があっても一切の反論もできない。する気もない。

アホはアホなりの人生があるし、貧乏から金持ちまでいるがどんな奴もいつか死ぬだろう。死なない奴はいない。死ぬまで生きるだろう。そのことは間違いなさそうだ。



















2019年11月5日火曜日

自分だけの世界 誰一人として理解されなくても

ただただ上手に作るyoutubeとか、ブログを見てもなぜか振れない。

上手く作るのは職人、工員であるし、大量生産もし、特注も細心の注意と専門性を込めて一生懸命に仕上げる。仕上がりは美しい。参考になるし、貴重な内容を見て感動もする。

しかし響かない。なぜだろう?

工業生産、鍛え上げられた技術、細心の技能の末に研ぎ澄まされた完成品、極上の縫製。

高度な縫製の服は心地いい。

だがしか~し、自分が作るジーパンはゆがみ、型はズレ、糸をつぎ足し、失敗だらけ。そんな仕上がりなのだが、自分で作るという感覚が何とも言えないくらいにいい。自分の失敗には目をつむり、少々出来の悪い子供の方が可愛いのと同じで、許せてしまう。

手作りならではの良さ・・・などということを主張するつもりではない。そんな主張はしない。人に知らしめることではなく、手作りをとことん自分で楽しんでいるのだから自分だけの世界ということだ。

世間ではだれも自分のジーンズを自分で作るということなどしないだろうが、もし、そんな暇な人がいればきっと理解してもらえるのではないかと思う。少ないながら、国内には素人デニム作家と呼べる変態はおそらく3人はいるのではないだろうかと想像している。

元素人を合わせると10人は存在するのではないだろうかとも思うが、俺は素人を貫く。(というよりただの素人)何をそんなに素人と偉そうに・・・と思われたあなた、偉そうに思えたなら、あなたよりも私の方が偉いのだよ。(また本当のことはさておいて)


昨日、散歩して端切れのセルビッジデニム3メートル(900円税込み)を二枚買った。こいつでGジャンを作ろう。

今、別に2メートル(300円税込み)二枚ストックがあり、こいつも冬仕様のジーパンになる予定だ。ちょいと忙しい。

自分用にいろいろ作り、次第にコレクションが増えたら次は身内の分を作る。(かもしれない)

6月に仕上がったオーバーオールの着心地はすこぶるよろしい。俺は天才なんじゃないかと自画自賛している。些細なことだがこんなことで嬉しい。勘違いも独壇場なのでなりふり構わない。

人付き合いはつまらない。人と遊んだり、交流することが楽しみな人が多いかもしれないが、俺は誰とも付き合いたくないし、一人で何か作業したり考え事をする方が有益で実りある。多分俺は研究するのに向いているのだが誰からも研究依頼もないし、自発的に世界を探求しているだけなので気楽でもある。頼まれもしないことを一生懸命にしている。

次回作にGジャンを作ろうと考えているが、今度こそ市販のパターンを買って挑戦してみようとネット検索して適当なのを見つけてぽちった。

タイトル通り、ノルマなし、締め切りなし、研究依頼募集します。好き勝手させていただきます。こういうコンセプトでやります。仕事ください。ただし、約束守りません。何もかも約束できないので承知の上で遊ばせてください。・・・こんな虫のいい話はさすがにないだろう。大体こんな話についてくる人も世の中にはいないのだろう。

興味を持った方、連絡ください。ただし、期待に添えることはないという前提で。

追記:2020/03/30
その後、いまだかつて連絡は一切ない。まだ、周辺には常識人しかいないようだ。(笑)