2020年3月30日月曜日

男のエプロンの本  名著と呼んでいいでしょう  絶版?重版未定?

半年ほど前、本屋で立ち読みして買おうかと迷った挙句、やめた。
いつでも買えるだろうと不要不急だったので買うのをやめた。

不要不急という言葉を使ってみたかった(笑)

先日、改めてこの本を買いたいと思って調べるとどこも売り切れ、絶版(重版未定)だった。急いで楽天ブックスで在庫を見つけて買った。こんなことなら新刊本のうちに買っとけばよかったと後悔した。

今日はこの本のレビューをしてみよう。

男シリーズの名著!

タイトル:男のエプロンの本
著者:島崎隆一郎
定価:1600円(税別)







この本は、単なる型紙本ではない!

著者の著書はほかにシャツ、コート、ミリタリーウェアが好評発売中だ。

しかし、なぜだかわからないが、男のエプロンの本だけが絶版(取り扱い不可)になった。

この本は、実は先にあげた3冊にはない要素で構成された著者の独自性の表れたすばらしい名著である。なのに、絶版になったみたい。増刷しない。

一般の型紙本は付録として最終頁あたりにポケットがあって、型紙が折りたたまれて収納されている。しかし、この本は型紙は本のページに縮小サイズで掲載されており、その小さい型紙を拡大する必要がある。やや実用性においてハードルが高い。

全体に通じて言えるのは写真は雰囲気を醸しているのでマニアック性があり、エプロンに対する独自の世界観を表現することに成功している。

残念なのはこのマニアック性が仇となったのではないかという点。本来ならば、専門性の高い、マニアックな世界ほど書籍の役割としての叡智のはずであってほしい。

商業主義と専門性が折り合わない結果の絶版だったと言えるのではないかと邪推してしまった。

飯を食うためには売れる本を作ることが出版する側の責任だろうけれど、売れない本だからよくない本とは言えないはずで、この本が売れない本だったかどうかは知らないが、絶版になった要因がマニアックな世界観なのだろうと思わずにいられない。

「男のエプロンの本」というタイトルから想像すると、マニアックな少数者の求める本が絶版になるのは社会的な損失であり、そんな世界にちょっとだけ残念な未来を想像してしまう。

今のところ、絶版(重版未定状態)なので新品は手に入れることはできない。定価より上乗せしてやや割高になる中古本は少し在庫があるようだ。やがて在庫がなくなるにつれて販売価格も吊り上がる。図書館の蔵書も少ない。将来的に大学図書館か国立国会図書館にお世話になる人も出てくると予言できる。そんな一つの、男のエプロンの世界感を作ったという観点からも素晴らしい名著だと評した。

最後まで読んでくれてどうもありがとう。

おわり





2020年3月28日土曜日

さようならSEIKOダイバーズ KNETIC

いつだったか忘れたが、腕時計の話題に触れたことがあったので思い出して今日も時計の話。

今日、ヤ〇ーオークションに出品した腕時計が思いのほか高値で落札された。

海外の空港で買ったSEIKO ダイバーズウオッチ200M。

キネテックという機構の時計で、故障してしまいメーカーに修理相談したが交換部品がないからとやんわり断られてしまったヤツ。しばらく引き出しにしまい込んで忘れていたところ、ミシンをオークションで売りさばいたのを契機にこの際だから処分品をかき集めてみようとしたら最初にこの時計が浮上した。
もうこの時計は売り払った。何気に記念の時計だったが、動かなくなったので、修理してくれるオーナーにかわいがってもらえたらいいのになぁ。部品どりでばらされる運命かも。


購入したときについてきたギャランティカードにFEB-2001とある。ずいぶん時間が経った。カードの日付を見て、期限切れ旧パスポートのスタンプを確認するとsingapoleとある。

俺は、当時行ったことのなかった国、シンガポールに初めて訪れる機会があった。

乗っていた船は売却されることになった。売却先のシンガポールまで航行して港について下船した。時間を見つけて市内観光して、他のクルーとはそれぞれの都合で別行動したが、帰りの飛行機は何人かのクルーと待ち合わせて同じ飛行機で帰国した。その待ち合わせの合間に空港内のショップでこのダイバーズウオッチを買った。

だんだん思い出してきた。

空港内の中国料理レストランは市内のどんなレストランよりも旨い店だった。

残念ながら、当時俺のグルメ情報は貧弱だった。シンガポール飯はこんなにもまずいのかと確信に変わる一歩手前だった。

入る店ことごとくうまいと言えない、残念な店をよくもこんな見事に引き当てるとは、俺は相当先行きが明るいと思えた。

あきらめの境地に打ちひしがれていた。ところが、まるで暗闇を明かりもなく歩いていたさ中、たどり着いた空港内で大逆転!ときたので記憶に刻まれたのだ。

前日、気の置けない仲間数人連れだって酒とお姉ちゃんのいる店に行った。当時、色んな国に行って確認した限り、シンガポールのモデル級のクオリティはそうそうお目にかかれないと同行した連中は偉そうに口をそろえて評価した。偉くはない俺でもそう思った。偉くはないというのは、当時2ndコックだったが、実質3rdコックよりも俺の方が年下だったので司厨長からは命令され、馬車馬のように働く。ろくに働かない、俺よりも格下の3rdからも偉そうな口をききやがる。だが俺よりも年上なので露骨に失礼な態度はいけない。司厨長が絶対許さない。船乗り同士、仲間割れは許されない。末端まで調和が求められる。どこの世界でも同じ、いい社会勉強だった。

酷使したつもりはないのだが、しばらくして故障した。セイコーに持ち込んで無償修理してもらったが、数年後再びトラブル発生。今度は交換部品がないという結論。どうしようか考えているうちに存在を忘れ引き出しの奥に追いやられた。

かわいそうなことをしたが、今度の引き取り手はこいつの瑕疵を承知の上で引き取ってくれる。メーカー修理は部品保有や修理マニュアルなどのことから引き受ける枠は狭いように感じるが、あくまで供給元のメーカー様なので、従うまで。今時、そんなメーカーのおこぼれを拾うのが民間メンテナンス。

ミシンの修理も部品がないといわれてしまい、買い替えを促される。機械もののメンテナンスの対応は似たようなところがある。

ろくにつけもしない腕時計を複数本所有してしまっていることから、時計だけでなくいらないものを少しずつ処分して身軽になろうと考えているようないないような。

世間でいうところの「まあ高級」から「安物」までの時計がある。手放すことで何かから解放されるような。

で、ふと思った。「高級」「安物」とは何を差してそういうのだろうか。

世間的にはグランドセイコーは「まあまあ高級腕時計」、数千円のGショックは「まあまあ安物腕時計」と例えてもいいのだろう。しかし、高額か安価かというだけで良しあしをはかるのはつまらない。

前にも同じスピードモデルで電池は10年くらい故障せず。しかし、電池の寿命が来て、とうとう表示しなくなった。デザインがいい、エポックメイキングな時計だった。今度は奮発してソーラー充電のタイプにした。安いけれどいい時計なのでまた同じようなデザインを選んだ。

最後まで読んでくれてありがとう。

おわり










家庭用ミシンの次は職業用ミシン

冷静になって自分のブログを読み返すと、足踏みミシンでデニムジャケットを作るなんてつくづく普通ではないのだと気付いた。足踏みミシンは置いといて、今日は職業用ミシンについて。

職業用??工業用ではない??

職業用ミシンはとても分かりにくいカテゴリーではないだろうか、あくまで家庭用ミシンの位置づけである。つまり、一般家庭でも持っている人がいても不思議なことではない。持ってる人は持ってる。当たり前か。

直線を縫うだけなら別に今ある家庭用コンピュータミシンでもいいはずで、必要に迫られる場合や、ワンランク上のパワーやスピードが欲しいと実感するような家庭用ミシンではどうにもならないという場合に求められるようなものではないだろうか。

職業用ミシンが家庭用コンピュータミシンより優位な機能はそのスピードと力強さが圧倒している。この二つのいずれかだけでも家庭用コンピュータミシンに不満があるのなら購入の選択肢に入れてもいいと思うが、ミシン屋さんで漠然とミシンの相談したときに、「ミシンで何を作るのか」と尋ねられ、何を作るかこれから考える、、的なことであるなら勧められるミシンの選択肢は狭められず、もう少し具体的に答えられる準備が必要かもしれない。たいてい初心者は家庭用コンピュータミシンから始めるのが普通だろう。

コンピュータミシンで一通り自分の好きなように洋裁をしてみてこれ以上はミシンの限界だろうというところを感じ始めたら物足りなさを感じて、そんなころにはすでに職業用ミシンの存在を知って、触ってみたいと思うようになる。

縫製工場など、プロダクト製品を製造する工場は、基本すべて工業用ミシンで行い、一つの工程だけのためにそれ専用の高性能工業用ミシンが使われたりもする。そのため、複数ある工程に合わせたそれぞれの特殊ミシンをスタンバイさせて製造ラインが確立する。

家庭用コンピュータミシンの素晴らしい点はこれら、縫製工場のような様々な仕事を一台でやってのけるという豊富な機能(のようなもの)を盛り込んでいるという点であり、そのコンパクトな一台で既製品に負けない作品を作り出すことも不可能ではない。

ご存じ職業用ミシンは基本的に直線基線のみであって、ジグザグや模様を描くための横動作はないので一見するとコンピュータミシンほどの自由度は低いように感じる。直線は家庭用ミシンよりも職業用ミシンの方が断然綺麗という意見を見聞きしたことがあるが、スピードとパワーは圧倒的に職業用ミシンに軍配が上がるが、直線の綺麗さにおいてはそれほど明らかな差は見いだせない。せいぜい、スピードとパワーからくるステッチの均質性はあるかもしれないが。

コンピュータミシンならば文字模様縫いが可能で、それらを組み合わせることでステッチの表現は無限大だ。糸の種類や色を変えたりすることで無限大の前に「さらに」というのがつく。

手芸用品店で時々見かけるのが、何人かのご婦人方がテーブルを囲んでそれぞれの手芸を楽しんでいる風景。とてもほのぼのしている。

自宅でミシンを自分ひとりで黙々と作業しているのと違って、人と触れ合いながら、楽しんでいる。もしかすると、そんなコミュニティに参加することによって、出来上がった作品の自分だけの価値が生み出されることにほのぼのとしたひと時を過ごすのだろう。

さすがに、この作業テーブルにいるご婦人方に交じっておっさんがいたら、おかしい。そして、想像してご覧、「おっさん」だけのテーブルはもっとおかしいい。(笑)こう考えてしまうオレはやはり非常に常識人だと再認識する。

~ちょっと休憩~

しかし、世界は広い。バスク地方にはおっさんだけが集うクラブTXOKOがあるそうな。「常識」などという枠をつくって自分の世界を自分で狭めているに過ぎないということかもしれない。見つけたリンクを貼っておく。日本バスク友好会

~休憩おしまい~

「普通」とか、「常識」などの枠のようなものを自分の中に持つことは悪いことではないのだが、時として、その枠を囲むことで世界が狭くつまらないものになることもあると言えるし、考えたり行動していると色んな壁にあたったり、行き詰るときもあるかもしれない。しかし、時間は前に進むものだし、後戻りはない。どこかに出口があるだろうし、分かれ道があるかもしれない。家庭用ミシンの限界を感じたら新しい景色と世界を求めて、職業用ミシンを検討してはいかがだろうか。

そうそう、肝心なこと、職業用ミシンの場合、規格サイズが工業用に準じているので押さえ金が豊富に選べるのがいい。これは家庭用ミシンよりも専門性の高い微妙な縫い方が出来る。機種によっては太い糸を使うこともできるし、革も縫える仕様のものもある。いろんな選択肢が広がって、作ろうとするもののグレードを上げることが出来るだろう。

問題はとことん納得のいくまでミシンをテストさせてもらえるかが気になる。やはり、相手も商売なので試しに触らせてもらうといっても、まさかその場でデニムパンツ一着を仕上げるほどの使い方はできないだろう。テストと言いつつ、帆布トートバッグなどを作ったりもできない。切りのいいところで立ち去るようなイメージで店を訪れてみてくれ。

主に自分が使いたい布と糸は持参してテストされるといいのだろうと思う。

最後まで読んでくれてありがとう。

おわり











地元の掲示板ジモティー うまく使えば活用できる

ご存じ、地元の掲示板「ジモティー」

まず、ジモティーで不用品を処分したが、投稿の際の値段設定について。

以前、0円でもいいから引き取ってくれないかと家電製品を投稿した。投稿してすぐ問い合わせが殺到した。1時間程度で30件以上の問い合わせメールが来た。

0円という設定、つまり差し上げますとしたのだが、届いたメールの内容の多くは「ほしいです」や「ください」とかの一言、中にはお情け頂戴的な内容を書いてよこす人もいた。

お互い顔の見えない相手との交渉なので、「ほしいです」「ください」などよこしてくれるなら、その理由を簡単に書いてくれたらと思うのだが、冷やかしのような人もいるのかもしれない。

よくよく考えると無料とか、格安な価格がこんな状態を引き寄せたのだ。

ジモティーの登録者は個人なのかわからないが、もしかするとリサイクルショップを営んでいる人だったりするのかもしれない。

こちらは商売でやり取りしようとしているわけではないので相手も個人だろうと思ったが、実際のところリサイクル店を営んでいるような人も中にはいるのかもしれない。

もしリサイクル店に買い取ってもらうなら見積なり、引き取り金額の提示がなされるべきものだろうが、このジモティーではあくまで個人取引だからそんな必要がない。安く仕入れが出来ると思われているのか。

俺はプロフィール欄の記載がない人、情報がないとか取引実績の評価欄でネガティブな内容があるときは取引相手として選択しないことにしている。少なからず、プロフィール欄を書くだけの文章力の有無と人となりも知ることが出来る。

そんなプロフィール情報を活用して取
引がうまく言いくことだってあると思う。残念な人はそのプロフィール欄があまりにも薄っぺらであることが多い。

また、「0円で譲ります」というのは善意であることがほとんどだと思いたいが、悪いことを考えるヤツがいないわけではないと考えて参加するに越したことはない。犯罪の温床とまではいわないが、それに近い悪の世界に近づくようでもありスリルがある。

それでもジモティーの一番のアドバンテージはシステム利用料、費用が一切発生しないことである。取引間双方の利害が合致すれば、お互い徳をする。ヤフオクやメルカリなどでの取引すれば1割だったか、相当のシステム利用料を支払う。1割程度というが、侮れない。そもそも高額な価格設定だと敬遠されるし、かと言ってギリギリの価格にしても宅配手続きなど事務作業にかかる手間もばかにならない。

それでもリサイクルショップに持ち込んでも大した値段で買い取ってくれるとは限らないし、むしろ安く買いたたかれたりすることを考えると少なからずお金に換えることが出来るというささやかな余暇である。

ジモティーを利用しての考察。

(売り手側)
タダで引き取ってもらえるならラッキーと余裕ある方。
タダで譲りますと投稿すると、くれくれメールが殺到するので返事をする体力を温存しておくこと。
いくらかの金額設定をするなら、この金額で譲ってもいいとよくよく考えること。責任は自分にある。

(買い手側)
そもそもタダでもらえると甘い考えはやめよう。自分が考えていることはほかの多くの人も考えは同じだ。
欲しいなら、きちんとしたメッセージを送ろう。「ほしいです」「ください」「まだ取引できますか?」などは、言葉足らず、アホ丸出しである。もう少し気の利いたメッセージを添えてみて。

本当なのかわからないが、真に迫りすぎるのも読むとちょっと重い。

息子が喘息できれいな空気を必要としています。7歳になるのですが、今年の冬は加湿器を使ってよい環境を作りたいのでぜひ加湿器を(タダで)譲ってください。

・・・しらねぇよ。それほど健康上加湿器が必要ならきちんと金出して新品買えよ。・・・と返事してはいけない。

先客があるというと、「キャンセルになったら声かけてくださいませんか?」

・・・しぶとい。

(キャンセルは)ないと思うが、きっぱり断れないのは見えない相手だからというのと、引き取ってほしいというこちらの下心を読まれている。駆け引きがあるのだ。だんだん不健康な話になってきた。(笑)

お互いが有効な活用ができることが理想だけれど、ルールが細かく設定されているところを見ると、少なからず何等かの不利益を被っている人がいるのかもしれない。幸い、今のところ俺はそんなことはないけれど、ルールを守って楽しくやり取りが出来ればジモティーは有効なシステムの一つだと思う。

いろいろ書いたが、タダで譲りますという人や格安でほしいものが見つかる場合もある。そんな善意の人に巡り合える場合もあるので、上手に利用してみてはいかがだろうか。

今日はここまで。

最後まで読んでくれてありがとう。

おわり























2020年3月27日金曜日

湖北省 武漢  旅の思い出とか 1991年3月

武漢から始まったコロナウイルス。今、世間では「コロナ・・・」と聞かない日はない。

近所のドラッグストアなどで使い捨てマスクが売り切れ状態になり、続いてトイレットペーパーが売り切れた。ほどなくしてトイレットペーパーは見かけるようになって平常通りに戻った感じだけれど、相変わらず、今日現在もマスクは品切れ状態が続いている。

売られていないマスクを探しても見つからない。まれに売られているマスクを見つけたら50枚入りで3980円だった。こんなに高いと手が出ない。こんな状況でも普段マスクをしている人がいるのが不思議である。

まあ、手に入らないマスクなどしても仕方ないし、そもそも人込みに行くような予定もないのでどうしてもマスクが必要な状況になるならマスクくらい手作りしてやる!・・・と思ったが、とうとうマスク用ゴムまで売り切れ出す始末。考えることはみんな一緒なのかも。

ある手芸用品店を覗いたところ、あった!と見つけたのは丸ゴムだけれど固い、耳が痛くなるゴムだった。

手芸用品店も生活がかかっているから、ここぞとばかり、需要と供給からか売値を吊り上げる。そう思うと納得できる部分もある。しかし、散歩途中に見つけた別の手芸用品店では通常価格で販売されていた。こんな時でもきちんと商売されていることに感謝したい。

マスクゴムを販売している手芸用品店の多くは短く切り分けて数本ずつ束ねて袋詰めして割高な価格で販売していた。

女性ならストッキングをひざ下くらいから縦に1センチ幅でカットするとマスクゴムとして代用できるそうな。



ついこの間、中国で使い捨てマスクを拾って集めているニュースが流れ、不潔だ!と言ってた報道があった。

そんな日本ではマスク不足のため、使い捨てマスクを洗って使いましょうという始末。中国人の行動を批判してるくせに、使い捨てマスクを洗えば何回か使えるぞ!という情報もどうかと思うが。



先日、中国・武漢のことを書いたが再び1991年の中国の旅を思い出して書く。かれこれ30年近く前のこと。

俺は、友人と旅をする予定をしていたが、友人が都合つかなくなったということもあり、一人で行くことにした。

はじめての海外一人旅、初めての社会主義国・中国だった。

縁もゆかりもないわけではなく、親父が上海生まれなので行っとくか~てなわけで。

バックパックを背負うのだから、日本人御用達のこれでしょう。




往復フェリーを使い、節約した旅行になった。当時は金もなく、節約することで中国を長く見物出来たらと思った。今金があるような表現に読めるが、今もない。あの当時よりはある。あるのか、無いのかどっちなんだと言われると、無い。(笑)

鑑真号という大阪から上海へのフェリーが就航していて、片道20700円だった。今でも同価格帯の新型船が就航しているそうな。

2月28日、上海に上陸したがあいにくの雨で、大陸の気候はこんなにも冷たい雨を降らせるのかとしみじみ感じた。外灘を歩くとテレビで見たヨーロッパの街並みのようなレトロビルが並ぶ外国だった。

当時からそびえたつ上海マンション(上海大厦)は1934ごろに完成したとウィキペディア情報。

親父は上海生まれで宝安路25街というところに家があった。
そして上海マンションは住んでいた家の近くから見えたと言っていた。

俺が旅をした当時、資本主義経済が当たり前の世界から、全く知らない社会主義国の旅は驚きの毎日だった。街中に走る車は少ない。一般市民の多くは自転車、鳳凰号とかで、一台250元くらいらしい。その自転車は日本でいうところの荷物運搬に使われるような、フレームのしっかりした重量も相当ありそうな漕いでも快適に走るというには程遠い。(実際、蘇州でレンタサイクルして市内を走った)

たいてい、どんな店に入っても店員(服務員)は、機嫌が悪く、何か尋ねてもそっけない。ホテルのフロントで部屋はあるかと尋ねても「没有」(メイヨォ~ウ)とぶっきらぼうだ。どう見ても空き部屋はあるはずだと疑ってしまうが、無いと言われたら仕方がない。そんな横柄な態度は当たり前。まだ、中国人民のほとんどは資本主義経済を知らない時代だったのだ。愛想もくそもない。

当時の中国は平均所得も日本に比べ低いし、物価も日本の何分の一かわからないくらい低い。

しかし、そんな圧倒的優位だったはずの日本と中国の経済格差は実はこの30年足らずで逆転とまではいかないだろうが、相当追いつかれた。産業分野によっては完全に引き離されたものもあるという事実を認めなければいけないなと考える。

昨今、日本は中国からの観光客の皆さんが落としてくれるお金を当てにしている。これも30年前当時の中国が今の日本の姿だと言える。

こんなの考えられないような時代だったはずだが、すでに彼らは日本で買い物するのが安いと感じるから旅行してくれている。今日現在においては新型コロナウイルスのため旅行が出来なくなっているが、もうしばらくは静かに過ごさせてもらえるだろうか。

30年前の上海は未だ、ケンタッキーフライドチキンの一号店がオープンしたばかりで、中国人所得からは高めの料金設定だった。多分普通の中国人は入ることはできないような高級店の印象だった。今ではそこら中に店舗展開している。マクドナルドもそうだろう。

中国旅行での食べ物は俺の口に合った。何を食べてもうまかった。しかし、トイレだけはいただけない。残念な状態であった。

ひどいトイレ事情を忘れさせてくれるような、人々との交流は何よりも刺激的で記憶に刻まれた。

悪いやつもいる、いい加減なヤツもいる。しかし日本人に負けない、あるいは日本人にはない、人間力のある魅力的な人々もたくさんいた。そんな人々の普段を感じる機会に恵まれ、旅を通じて中国の人々に敬意を持って接したいと思った。今でもそう思う。

上海に上陸して船で武漢に行き、また船で南京、そこから鉄道で蘇州、のち上海。上海から鑑真号で帰国した。およそ1か月の行程だった。滞在中の出来事やほとんどのことは俺の記憶の中にだけある中国である。

政治的には色んな問題があって、好き嫌いで物を言うヤツが時々いるが、政治家でもないのにお隣さんのことをとやかく言うのはよした方がいい。むしろ、困ったときにはお互い様という気持ちを前提に言葉を選んでほしいものだよ。

初めての海外が中国で、今でも中国のことは心のどこかで気に留めているし、大国であり、歴史があり、飯もうまい、お隣の国として贔屓にしている。親父が生まれ育ったというのも何かの縁だと思うがせっかくの縁も戦争が分断した。戦争は残念だったが、人と人の往来は途切れず、今でもたくさんの中国の人は来てくれているし、仕事で住んでくれている人もたくさんいる。

色んな意味で彼等から教えてもらうべきことは尽きることはない。

湖北省武漢の思い出した出来事ダイジェスト。

食べた料理がうまかった。どれも唐辛子を大量に使った真っ赤な皿ばかりで驚いた。食後の1時間は唇のしびれが収まらない原因が花椒だった。

散歩中、大道芸で猿回しをしていたので立ち止まって見てたら目つきの悪いやつに見物料をよこせと迫られたのを思い出した。大した芸もできない猿で、動物虐待のようでもあった。

乗る船を案内してくれた親切なおじさんに胸ポケットに入れていたたばこを盗まれた。おじさん曰く、案内料らしい。

漢口駅の近所をうろついていると、日本語で話しかけてきた老人。

招待所の一室でベッドで横になって本を読んでたらフロント係の女の子が無断で室内に入ってきて、黙って帰っていった。3人くらい入れ替わりに入ってきたのは闇の風〇嬢なのかもしれない。

中国人青年と知り合って、家庭に招かれ飯をごちそうになった。青年のお姉さん家族と同居していた。義理の兄は写真家らしく、キヤノンAE-1を大事に使っていた。

今日はこの辺でおしまい。

最後まで読んでくれたあなた、どうもありがとう。


2020年3月2日月曜日

足ふみミシンでGジャンを手作り 春秋用2ndモデル完成!

先日、冬用デニムジャケットを完成させたところだが、着てみて少しオーバーサイズなのとポケットに不満があった。サイズは、フリースを中に着込むと丁度良い。しかし、春になると、フリースもいらなくなるし、シャツだけだと少しだぶつく。春の装いで着るのにはデカく、落ち着かない。

こんな時にも自作だろう(笑)

てなわけで、春秋用のデニムジャケットを作ることにした。

①みんな大好き中華スマホ(愛機:HUAWEI)を格納できる内ポケットが欲しい。
②前回の少しサイズダウンした仕上がり。
③今作は2ndタイプ(胸ポケットが左右二つ)とフラップ。

前作の反省点と概要は以下の通り。

洗濯すると革パッチがまだらに青く染まって汚れた。
 ⇒これ正直、がっかりした。洗濯前にオイルを塗布することにした。

縫い方を見直ししたい部分があった。
 ⇒向上心しかない。

春秋用なので、シャツを着て丁度サイズ。
 ⇒いつもうまくいく俺は天才かもしれない。
 ⇒自分で作る喜び。

今作に予定している生地はずいぶん前に買い置きしていたので出番待ちだった。
幅75センチのセルビッジで、1メートルあたり150円! およそ12.5オンス。手触りはしっかりした印象。糊が効いている。

多分、こんなに安く今後この価格で買うのは難しい。何せ、80過ぎた爺さんが一人でやってた生地屋さんのワゴンにあった格安端切れだった。
もう、その店はなくなった。

今回のジャケット製作のコンセプトもオールシングルステッチ、足ふみミシンはSINGER188Uでキメる。(キメる」というのを使ってみたかった。(笑)

ご存じの方には無用の説明だが、初心者やこれから取り組んでみたいという方、興味本位で読んでくれているごく一部の変質者の方などを対象に、やすやすと理解できない変態ワールドを少し紹介しよう。

俺のSINGER188Uは、ご覧の通りシルバー塗装で渋く決まっている。確か、製造年は1956年ごろの古い、今でも変態関係者の間ではどういうわけか根強い人気のミシンなのだ。
ずいぶん散らかっているが気にしない。


アメリカブランドだが、このミシンは日本製造らしい。当時から世界中でシンガーミシンを製造していたそう。188Uの「U」は宇都宮に工場があったそうな。アルファベットの頭文字を型番につけたらしい。

で、こんな古いミシンでもきちんと作動するし、縫い味も大変よい。整備士(オレ)の腕がいい。(うそ)というより、職業用足ふみミシンがたどり着いた最高水準がこのモデルなのかという評価もなんとなくうなずける。

構造は足ふみミシンのTAという職業用規格のもので、現在のモーター式の職業用(工業用)などの規格と同一サイズだ。家庭用ミシンよりも少し大きく、懐という部分も大きいのでジャケットなど縫うときにくぐらせるのにはこれくらいが丁度いい。

色んなアタッチメントは現在でも手に入るし、使える。豊富な種類がある。それらを使いこなすことが出来ると洋裁の世界が開ける。(はずだ)

針、針板、押さえ金、ボビン・ボビンケース、革ベルトなど、いまだに新品補給部品が手に入る。釜が傷んでも新品が売られている。つまり、自分でメンテナンスが出来れば釜だって3~4千円程度で買える。コンピュータ基盤を使わないので、長持ちするのだと言える。

ミシン整備を始めた数年前、俺はミシンの構造すら知らず、まして「釜」など知るはずもなかったが、今はこんなブログで「釜は~・・・」とか知ったように書いているがいい加減なもんだ。

電気を使わない構造だが、たかが金属の塊なのでねじ回しなんかでいじり倒し、各所に油を差せば何とかなる。いじっているうちに色んな壁にぶち当たることもあるが、今時ネット検索とYoutubeでほぼ問題は解決できるだろう。

職業用足ふみミシンを選ぶときは統一規格なので歌手だけでなく、蛇の目、他に三菱でも重機でも兄弟でも同じ規格で基本構造は変わらないはずだ。あとは自分勝手な勘違いで好きなブランドを選べばいい。俺はヤフーオークションで入手した。

マニュアルは類似型番のものになるけれど、歌手のHPからダウンロードできる。蛇の目だっていまだにマニュアルがダウンロードできる親切な業界だ。

しかし、マニュアルだけに頼るような心根で何とかなると思わないでほしい。マニュアルに書かれていることだけがすべてではないのと、むしろマニュアルに書かれていることはごく基本的な一部だと覚悟されるがよろしい。

ご存じ、電気を使わない足ふみミシンは現在のコンピュータミシンとは違う、アナログ機械である。匙加減、手加減であらゆる調子が微妙に変わる。ダイヤル・ねじの締め具合、加減一つ一つの手作業がすべてと言って過言ではないだろう。デジタルの数値化されたセッティング感覚とはだいぶ違う。

最初にセッティングがうまくいけば、糸調子ダイヤルと下糸の調子を微調整するだけでたいていのものを縫うのには問題ない。色んな古い家庭用ミシンをいじってみたが、職業用足ふみミシンが電気代もかからないし、縫うスピードも自分の足漕ぎで超スローから最速まで自由自在である。手回しというのも要所で使う。体全体で縫っているという感覚は、分野は違うが自転車の運転にも共通した感覚である。


前回の冬用デニムジャケットの制作を始める時も似たような風景だったが、今回は春秋用としての制作開始である。毎度、差金を使うのはおなじみ。
スタートはいつもこんな感じだ。




いわゆるリーバイス2ndモデルを真似するので、胸ポケットは左右につける。フラップ(ふたも同様)


アイロンは家庭用の30年前からのスチーム付きで、水道水を入れるとカルキ成分が出るので微妙に汚れたりする。そもそもアイロンがめんどくさい。

アイロンを使うと生地に染み込んでいる糊のような成分が固まり、テカテカするので使わないことにする。小中さんの技を真似した、なんちゃって手曲げ縫製である。

縫い目はゆがむこともあるし、工業用ミシンで製造される、いわゆる製品ではない。
しかし、アイロンを使わず、足ふみミシン独自の雰囲気があり、仕上がったら何とも言えない手作りの良さが現れる。そして、実際に着て、何度も洗濯すると当然形もゆがむし、縮んだり、色も落ちるだろう。次第にあたりも出てくるのを見つけるのもひそかな喜びだ。

普及している市販されたブランドのデニムは縫い終わったら、洗い加工なんかするそうで、USED感を高めると聞いた。店頭に並ぶと既に履きこなした感のある、しかし新品のデニムが売られているのだ。新品なのにUSED感が完成している。すごい。

自分で作ると普段の楽しいお洗濯♪を繰り返すことで徐々にナチュラルなUSED感を楽しむことが出来る。
何をやってるのかって、脇から袖を縫っているところだ。



今回は二作目ということもあり、順調に進めてきた。しかし、やはりしょうもない失敗は毎度のことで、タブというのか、両サイドにつけるところをど真ん中につけてしまった。


とてもうまくできた!と眺めると、この通り。

で、ほどいて付け直す。何事もなかったように美しく仕上がった。


そう、ボタンホールは前回もお願いした同じ店で仕上げてもらう。ボタンホールミシンの値段を聞いてびっくりしたが、当然と言われれば当然かもしれない。

ボタンホールがいっちょ前のものになると、全体のグレードもグっと上がる。

ボタンは数が足りなかったので、カフスだけ別のにした。これはこれで良しとする。


何事も失敗すればやり直せばいい。失敗がいけないのではなく、修正力が問われるのだ。そもそも失敗しなければいいという正論は面白くない。

時に、勢いあるけれど、何か未熟な作品に不思議な魅力を感じる時がある。なんにでもいえることかもしれないが、「完成美」というものがあるとするなら、「未熟故の美」と言えようか。そんなジャケットに仕上がったとしみじみ思う。この春、シャツの上に着ることにする。

誰よりも失敗に対する評価は優しく、誰よりも失敗を許す広い心に完成のファンファーレが鳴り響いた。


第二作、セカンドモデル完成!

最後まで読んでくれてどうもありがとう。






2020年2月1日土曜日

1991年の武漢・中国の旅

1991年2月28日 上海に上陸した。

4日ほど市内をうろついてフェリーに乗った。行先は武漢だ。

武漢行きのフェリーは5等(正確ではない)くらいあって、外国人が乗れるカテゴリーは3等までだったと思う。フェリーの切符の手配は上海市内をほっつき歩いていた時に見つけた中国旅行を取り扱う旅行社で頼んだ。対応してくれた女の子の日本語が上手で、半ば下心からだ。

当時俺は2等船室の2段ベッドの下側の一つに転がって船旅をした。一等にはシャワールームが完備されており、素知らぬ顔をして使わせてもらった。外国人の俺は大目に見てくれていたのだと思う。

未だ、芽吹いてもいない冬から春になる前の寒い時期だった。

景色は行けどもはげ山か、殺伐とした枯れた風景が続いていた。

長江は向こう岸がほとんど見えない。こんなにデカい川は日本にない。

時折川岸に近い町や村の景色に近づくこと、そほんの少しの彩りもあったが、ほとんどの場合、グレーな景色だ。

2日目だったか、同室の中国人青年から話しかけられた。聞くと同世代でアメリカ出張の帰りだという武漢出身の江浩氏。彼は武漢大学を卒業し、水道蛇口メーカーで働く。

アメリカ出張だったが、本国から帰ってこいと命令があったので帰らざるを得ななかったと言う。船内で色んな話をした。

途中、南京港で停泊するわずかな時間に上陸し、港の売店まで行ってローストチキンを指さし、中華包丁でドスンドスンとカットしてもらい袋に詰めてもらったり、オレンジを買って船室で食べたりした。ある時は船のビュッフェコーナーで「合飯」といういわゆる中華丼のような弁当形式のものを食べたりもした。

1等は4人部屋になっていて、2等は8人部屋。3等は10人部屋のようでいずれも2段ベッドの形式である。4等、5等は詳しくわからないが相当の運賃と客層も幅広い印象だった。大きい荷物を持ち込む人や下層階の中には家畜のような動物(多分ヤギやアヒルなど)を載せていたように思う。

2等に乗船できる位の人はまあまあのステイタスのようで、ある人は学校の教授だったり学者だったり、普通の子連れの母親もいた。1等に乗船している人は見かけなかったので、その時は空っぽなのではないかと思われた。

上海から武漢までの長江を遡上してゆくので海と違い波もなく揺れない。船の振動はあるにはあるが瀬戸内を走る日本国内のフェリーよりも静かなのではないだろうか。


当時の物価を思い出すと、上海の南京飯店はツイン一泊、3000円、ドミトリーの浦東飯店は20人部屋で1ベッド450円くらい。南京大学留学生宿舎は4人部屋1ベッド300円くらいだった。

レストランは一人で食べる分には500円から1000円もかからなかった。簡単なスナック程度か、露天の春巻きとかで数十円で済ませることも多かった。

当時は圧倒的な経済格差があった。時に、中国人の中年のおやじから白い目で見られているような殺気を感じたこともあった。貧乏面したガキが裕福な大人だけが知るレストランに出入りするのだから、今から思えば当然と言えば・・・だろうか。

武漢では、船で知り合った江浩氏が紹介してくれた招待所に宿泊した。

ある時、彼の勤務する会社のビルの17階にあるオフィスに案内してもらい、武漢の街のオレンジ色の屋根瓦の街並みが見える眺望だった。

黄鶴楼、西湖、東湖、鉄道駅(武漢・武昌・漢口)などを見学したり、長江にかかる橋を眺めたり、渡し船で対岸まで行ったりして一通り、おのぼりさんコースをふらついた。


ある時、武昌駅からほど近いホテル(飯店)に宿泊した。そこでひどい下痢に襲われた。フロントで腹を下したので病院はどこだと尋ねると、フロントのお兄さんは病院まで連れてってくれた。

しかもなぜか病室まで一緒に入ってきて診察に付き添ってくれ、医師からは魚を食ったかとか聞かれ、覚えていない云々と答えると尻に注射するという。


当時の中国でどんな注射なのか十分な説明が理解できないままでは打たれるのは嫌だと思い、拒否した。すると内服薬を処方してくれた。付き添ってくれたフロントのお兄さんはホテルに帰るなりスタッフ仲間に俺が注射が怖いとビビってたと笑いもののネタにされた。(笑)

病院代も薬代も記憶にないくらい安くすんだと思う。武昌駅近くの飯店スタッフは良心的な病院の付き添いとハートフルな笑いもの扱いでとてもいい思い出が出来た。

あの時の病院の医者のオーバー気味なジェスチャー(尻に注射を打ってやる!)という情景が忘れられない。

「武漢」という一面見出しのニュースをみると、新型コロナウイルスは残念だが、30年前に出会った武漢の人々は純朴な人達だったし、豊かな懐の広く深い人々が暮らす大都市である。近年は日本企業が進出し、地下鉄網も張り巡らされ発展しているらしい。

一日も早い収束と武漢、中国の人々の平安を願う。

読んでくれてありがとう。

おわり。