半年前、毎日のように書いていたが、読者数はゼロの連続で誰も読んでいる気配はなく気分良かった。ひたすら自由にぼやいていただけだからだ。もちろん反響もないし、誰にも読まれることのない俺だけの世界だった。と思った。
どういうわけか、読者はゼロベースで書いてきたつもりだが、最近は誰かが読んでいる気配がある。これはおかしい。俺は誰も読みもしないだろうと思って勝手なことを書いていたし、ほぼ自分のことを書いていた。
そんな与太話を誰かが読んでいるのだ。
これはまずい。
そんな与太話を誰かが読んでいるのだ。
これはまずい。
人から見られるとなっては自分の行いを見張られているようで、どうも居心地が悪い。
これはブログなので出入り自由だからもちろん誰が読むかはわからないし、誰にでも読んでもらって良いのだが、始めた当初は読んでくれる人がいるかもしれないとちょっと期待したり、誰にも読まれていないだろうと安堵した。
読まれたいという承認欲求は俺にもあるのか、読んでもらえることは正直言って素直にうれしい気持ちもある。
社会の中で生きている証なのだろうと思うが、初心に帰ると、誰からも読まれずであってもいいことだと思って続けていた。
問題は、己の「承認欲求」だ。
誰かに読んでもらったら、こんな意見でも受け入れて欲しいと思っていたり、批判を受けたり、賛同してもらえるなどと考えながら書き進めることがしんどくなってくるかもしれない。正直なところ、ビビっているのかもしれない。
まだ自分自身の見張られ度合い、居心地悪さは深刻でもない。
ここまで書き進めてきたのも自分の考えの整理のためでもある。ついでに読んでくれる人がいるのは困るわけでもないし、むしろありがたいと受け止めている。
そもそも、時間つぶしに付き合ってくれたら良いくらい・・・という程度ではじめた。期待されるようなことは書いていないし、書けないと思う。その通り。
どこかに誰かからの期待に応えたいという、頼まれもしないのに責任感が芽生えることもあるのかどうか。そんな自分を慎重に見極めてみたい。
このブログ内容と同じ、人生で重要なことなんてないに等しい。
仕事も必要だろうか。大切な仕事などそれほどないのではないかと思う。
真面目に働いているのに時々我に返るとばかばかしいと感じる。
あなたの仕事は重要ですか?本当のところどうでしょう。
重要と思っているけれど、実はそれほどでもないということもあるでしょう。働かないと飯が食えない。というが、そうだろうか。みんなが一斉に「辞めた!」となれば、本当に大切な仕事が見えてくるかもしれないだろうが、余計なことばかりしてパワハラ、モラハラ、いじめ、誹謗中傷、人のせいにする。本当の仕事をしなければいけない時にそんな暇なことはできないはずである。
いかに余剰な人員を抱えて社会が成り立っているのか、見方を変えるとそんな風に考えることもできるのではないだろうか。
いかに働いているふりをするのも大事だ。遊びながら給料もらう生き方であろう。多くの人を養うことを社会的な暗黙の合意があるのかもしれない。
あなたが先か私が先かはわからないが、いずれ死ぬ。それまでの暇つぶしに考えを巡らせよう。
こんなブログだが読んでくれた人に感謝。
おわり
読まれたいという承認欲求は俺にもあるのか、読んでもらえることは正直言って素直にうれしい気持ちもある。
社会の中で生きている証なのだろうと思うが、初心に帰ると、誰からも読まれずであってもいいことだと思って続けていた。
問題は、己の「承認欲求」だ。
誰かに読んでもらったら、こんな意見でも受け入れて欲しいと思っていたり、批判を受けたり、賛同してもらえるなどと考えながら書き進めることがしんどくなってくるかもしれない。正直なところ、ビビっているのかもしれない。
まだ自分自身の見張られ度合い、居心地悪さは深刻でもない。
ここまで書き進めてきたのも自分の考えの整理のためでもある。ついでに読んでくれる人がいるのは困るわけでもないし、むしろありがたいと受け止めている。
そもそも、時間つぶしに付き合ってくれたら良いくらい・・・という程度ではじめた。期待されるようなことは書いていないし、書けないと思う。その通り。
どこかに誰かからの期待に応えたいという、頼まれもしないのに責任感が芽生えることもあるのかどうか。そんな自分を慎重に見極めてみたい。
このブログ内容と同じ、人生で重要なことなんてないに等しい。
仕事も必要だろうか。大切な仕事などそれほどないのではないかと思う。
真面目に働いているのに時々我に返るとばかばかしいと感じる。
あなたの仕事は重要ですか?本当のところどうでしょう。
重要と思っているけれど、実はそれほどでもないということもあるでしょう。働かないと飯が食えない。というが、そうだろうか。みんなが一斉に「辞めた!」となれば、本当に大切な仕事が見えてくるかもしれないだろうが、余計なことばかりしてパワハラ、モラハラ、いじめ、誹謗中傷、人のせいにする。本当の仕事をしなければいけない時にそんな暇なことはできないはずである。
いかに余剰な人員を抱えて社会が成り立っているのか、見方を変えるとそんな風に考えることもできるのではないだろうか。
いかに働いているふりをするのも大事だ。遊びながら給料もらう生き方であろう。多くの人を養うことを社会的な暗黙の合意があるのかもしれない。
あなたが先か私が先かはわからないが、いずれ死ぬ。それまでの暇つぶしに考えを巡らせよう。
こんなブログだが読んでくれた人に感謝。
おわり
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