2020年3月2日月曜日

足ふみミシンでGジャンを手作り 春秋用2ndモデル完成!

先日、冬用デニムジャケットを完成させたところだが、着てみて少しオーバーサイズなのとポケットに不満があった。サイズは、フリースを中に着込むと丁度良い。しかし、春になると、フリースもいらなくなるし、シャツだけだと少しだぶつく。春の装いで着るのにはデカく、落ち着かない。

こんな時にも自作だろう(笑)

てなわけで、春秋用のデニムジャケットを作ることにした。

①みんな大好き中華スマホ(愛機:HUAWEI)を格納できる内ポケットが欲しい。
②前回の少しサイズダウンした仕上がり。
③今作は2ndタイプ(胸ポケットが左右二つ)とフラップ。

前作の反省点と概要は以下の通り。

洗濯すると革パッチがまだらに青く染まって汚れた。
 ⇒これ正直、がっかりした。洗濯前にオイルを塗布することにした。

縫い方を見直ししたい部分があった。
 ⇒向上心しかない。

春秋用なので、シャツを着て丁度サイズ。
 ⇒いつもうまくいく俺は天才かもしれない。
 ⇒自分で作る喜び。

今作に予定している生地はずいぶん前に買い置きしていたので出番待ちだった。
幅75センチのセルビッジで、1メートルあたり150円! およそ12.5オンス。手触りはしっかりした印象。糊が効いている。

多分、こんなに安く今後この価格で買うのは難しい。何せ、80過ぎた爺さんが一人でやってた生地屋さんのワゴンにあった格安端切れだった。
もう、その店はなくなった。

今回のジャケット製作のコンセプトもオールシングルステッチ、足ふみミシンはSINGER188Uでキメる。(キメる」というのを使ってみたかった。(笑)

ご存じの方には無用の説明だが、初心者やこれから取り組んでみたいという方、興味本位で読んでくれているごく一部の変質者の方などを対象に、やすやすと理解できない変態ワールドを少し紹介しよう。

俺のSINGER188Uは、ご覧の通りシルバー塗装で渋く決まっている。確か、製造年は1956年ごろの古い、今でも変態関係者の間ではどういうわけか根強い人気のミシンなのだ。
ずいぶん散らかっているが気にしない。


アメリカブランドだが、このミシンは日本製造らしい。当時から世界中でシンガーミシンを製造していたそう。188Uの「U」は宇都宮に工場があったそうな。アルファベットの頭文字を型番につけたらしい。

で、こんな古いミシンでもきちんと作動するし、縫い味も大変よい。整備士(オレ)の腕がいい。(うそ)というより、職業用足ふみミシンがたどり着いた最高水準がこのモデルなのかという評価もなんとなくうなずける。

構造は足ふみミシンのTAという職業用規格のもので、現在のモーター式の職業用(工業用)などの規格と同一サイズだ。家庭用ミシンよりも少し大きく、懐という部分も大きいのでジャケットなど縫うときにくぐらせるのにはこれくらいが丁度いい。

色んなアタッチメントは現在でも手に入るし、使える。豊富な種類がある。それらを使いこなすことが出来ると洋裁の世界が開ける。(はずだ)

針、針板、押さえ金、ボビン・ボビンケース、革ベルトなど、いまだに新品補給部品が手に入る。釜が傷んでも新品が売られている。つまり、自分でメンテナンスが出来れば釜だって3~4千円程度で買える。コンピュータ基盤を使わないので、長持ちするのだと言える。

ミシン整備を始めた数年前、俺はミシンの構造すら知らず、まして「釜」など知るはずもなかったが、今はこんなブログで「釜は~・・・」とか知ったように書いているがいい加減なもんだ。

電気を使わない構造だが、たかが金属の塊なのでねじ回しなんかでいじり倒し、各所に油を差せば何とかなる。いじっているうちに色んな壁にぶち当たることもあるが、今時ネット検索とYoutubeでほぼ問題は解決できるだろう。

職業用足ふみミシンを選ぶときは統一規格なので歌手だけでなく、蛇の目、他に三菱でも重機でも兄弟でも同じ規格で基本構造は変わらないはずだ。あとは自分勝手な勘違いで好きなブランドを選べばいい。俺はヤフーオークションで入手した。

マニュアルは類似型番のものになるけれど、歌手のHPからダウンロードできる。蛇の目だっていまだにマニュアルがダウンロードできる親切な業界だ。

しかし、マニュアルだけに頼るような心根で何とかなると思わないでほしい。マニュアルに書かれていることだけがすべてではないのと、むしろマニュアルに書かれていることはごく基本的な一部だと覚悟されるがよろしい。

ご存じ、電気を使わない足ふみミシンは現在のコンピュータミシンとは違う、アナログ機械である。匙加減、手加減であらゆる調子が微妙に変わる。ダイヤル・ねじの締め具合、加減一つ一つの手作業がすべてと言って過言ではないだろう。デジタルの数値化されたセッティング感覚とはだいぶ違う。

最初にセッティングがうまくいけば、糸調子ダイヤルと下糸の調子を微調整するだけでたいていのものを縫うのには問題ない。色んな古い家庭用ミシンをいじってみたが、職業用足ふみミシンが電気代もかからないし、縫うスピードも自分の足漕ぎで超スローから最速まで自由自在である。手回しというのも要所で使う。体全体で縫っているという感覚は、分野は違うが自転車の運転にも共通した感覚である。


前回の冬用デニムジャケットの制作を始める時も似たような風景だったが、今回は春秋用としての制作開始である。毎度、差金を使うのはおなじみ。
スタートはいつもこんな感じだ。




いわゆるリーバイス2ndモデルを真似するので、胸ポケットは左右につける。フラップ(ふたも同様)


アイロンは家庭用の30年前からのスチーム付きで、水道水を入れるとカルキ成分が出るので微妙に汚れたりする。そもそもアイロンがめんどくさい。

アイロンを使うと生地に染み込んでいる糊のような成分が固まり、テカテカするので使わないことにする。小中さんの技を真似した、なんちゃって手曲げ縫製である。

縫い目はゆがむこともあるし、工業用ミシンで製造される、いわゆる製品ではない。
しかし、アイロンを使わず、足ふみミシン独自の雰囲気があり、仕上がったら何とも言えない手作りの良さが現れる。そして、実際に着て、何度も洗濯すると当然形もゆがむし、縮んだり、色も落ちるだろう。次第にあたりも出てくるのを見つけるのもひそかな喜びだ。

普及している市販されたブランドのデニムは縫い終わったら、洗い加工なんかするそうで、USED感を高めると聞いた。店頭に並ぶと既に履きこなした感のある、しかし新品のデニムが売られているのだ。新品なのにUSED感が完成している。すごい。

自分で作ると普段の楽しいお洗濯♪を繰り返すことで徐々にナチュラルなUSED感を楽しむことが出来る。
何をやってるのかって、脇から袖を縫っているところだ。



今回は二作目ということもあり、順調に進めてきた。しかし、やはりしょうもない失敗は毎度のことで、タブというのか、両サイドにつけるところをど真ん中につけてしまった。


とてもうまくできた!と眺めると、この通り。

で、ほどいて付け直す。何事もなかったように美しく仕上がった。


そう、ボタンホールは前回もお願いした同じ店で仕上げてもらう。ボタンホールミシンの値段を聞いてびっくりしたが、当然と言われれば当然かもしれない。

ボタンホールがいっちょ前のものになると、全体のグレードもグっと上がる。

ボタンは数が足りなかったので、カフスだけ別のにした。これはこれで良しとする。


何事も失敗すればやり直せばいい。失敗がいけないのではなく、修正力が問われるのだ。そもそも失敗しなければいいという正論は面白くない。

時に、勢いあるけれど、何か未熟な作品に不思議な魅力を感じる時がある。なんにでもいえることかもしれないが、「完成美」というものがあるとするなら、「未熟故の美」と言えようか。そんなジャケットに仕上がったとしみじみ思う。この春、シャツの上に着ることにする。

誰よりも失敗に対する評価は優しく、誰よりも失敗を許す広い心に完成のファンファーレが鳴り響いた。


第二作、セカンドモデル完成!

最後まで読んでくれてどうもありがとう。






2020年2月1日土曜日

1991年の武漢・中国の旅

1991年2月28日 上海に上陸した。

4日ほど市内をうろついてフェリーに乗った。行先は武漢だ。

武漢行きのフェリーは5等(正確ではない)くらいあって、外国人が乗れるカテゴリーは3等までだったと思う。フェリーの切符の手配は上海市内をほっつき歩いていた時に見つけた中国旅行を取り扱う旅行社で頼んだ。対応してくれた女の子の日本語が上手で、半ば下心からだ。

当時俺は2等船室の2段ベッドの下側の一つに転がって船旅をした。一等にはシャワールームが完備されており、素知らぬ顔をして使わせてもらった。外国人の俺は大目に見てくれていたのだと思う。

未だ、芽吹いてもいない冬から春になる前の寒い時期だった。

景色は行けどもはげ山か、殺伐とした枯れた風景が続いていた。

長江は向こう岸がほとんど見えない。こんなにデカい川は日本にない。

時折川岸に近い町や村の景色に近づくこと、そほんの少しの彩りもあったが、ほとんどの場合、グレーな景色だ。

2日目だったか、同室の中国人青年から話しかけられた。聞くと同世代でアメリカ出張の帰りだという武漢出身の江浩氏。彼は武漢大学を卒業し、水道蛇口メーカーで働く。

アメリカ出張だったが、本国から帰ってこいと命令があったので帰らざるを得ななかったと言う。船内で色んな話をした。

途中、南京港で停泊するわずかな時間に上陸し、港の売店まで行ってローストチキンを指さし、中華包丁でドスンドスンとカットしてもらい袋に詰めてもらったり、オレンジを買って船室で食べたりした。ある時は船のビュッフェコーナーで「合飯」といういわゆる中華丼のような弁当形式のものを食べたりもした。

1等は4人部屋になっていて、2等は8人部屋。3等は10人部屋のようでいずれも2段ベッドの形式である。4等、5等は詳しくわからないが相当の運賃と客層も幅広い印象だった。大きい荷物を持ち込む人や下層階の中には家畜のような動物(多分ヤギやアヒルなど)を載せていたように思う。

2等に乗船できる位の人はまあまあのステイタスのようで、ある人は学校の教授だったり学者だったり、普通の子連れの母親もいた。1等に乗船している人は見かけなかったので、その時は空っぽなのではないかと思われた。

上海から武漢までの長江を遡上してゆくので海と違い波もなく揺れない。船の振動はあるにはあるが瀬戸内を走る日本国内のフェリーよりも静かなのではないだろうか。


当時の物価を思い出すと、上海の南京飯店はツイン一泊、3000円、ドミトリーの浦東飯店は20人部屋で1ベッド450円くらい。南京大学留学生宿舎は4人部屋1ベッド300円くらいだった。

レストランは一人で食べる分には500円から1000円もかからなかった。簡単なスナック程度か、露天の春巻きとかで数十円で済ませることも多かった。

当時は圧倒的な経済格差があった。時に、中国人の中年のおやじから白い目で見られているような殺気を感じたこともあった。貧乏面したガキが裕福な大人だけが知るレストランに出入りするのだから、今から思えば当然と言えば・・・だろうか。

武漢では、船で知り合った江浩氏が紹介してくれた招待所に宿泊した。

ある時、彼の勤務する会社のビルの17階にあるオフィスに案内してもらい、武漢の街のオレンジ色の屋根瓦の街並みが見える眺望だった。

黄鶴楼、西湖、東湖、鉄道駅(武漢・武昌・漢口)などを見学したり、長江にかかる橋を眺めたり、渡し船で対岸まで行ったりして一通り、おのぼりさんコースをふらついた。


ある時、武昌駅からほど近いホテル(飯店)に宿泊した。そこでひどい下痢に襲われた。フロントで腹を下したので病院はどこだと尋ねると、フロントのお兄さんは病院まで連れてってくれた。

しかもなぜか病室まで一緒に入ってきて診察に付き添ってくれ、医師からは魚を食ったかとか聞かれ、覚えていない云々と答えると尻に注射するという。


当時の中国でどんな注射なのか十分な説明が理解できないままでは打たれるのは嫌だと思い、拒否した。すると内服薬を処方してくれた。付き添ってくれたフロントのお兄さんはホテルに帰るなりスタッフ仲間に俺が注射が怖いとビビってたと笑いもののネタにされた。(笑)

病院代も薬代も記憶にないくらい安くすんだと思う。武昌駅近くの飯店スタッフは良心的な病院の付き添いとハートフルな笑いもの扱いでとてもいい思い出が出来た。

あの時の病院の医者のオーバー気味なジェスチャー(尻に注射を打ってやる!)という情景が忘れられない。

「武漢」という一面見出しのニュースをみると、新型コロナウイルスは残念だが、30年前に出会った武漢の人々は純朴な人達だったし、豊かな懐の広く深い人々が暮らす大都市である。近年は日本企業が進出し、地下鉄網も張り巡らされ発展しているらしい。

一日も早い収束と武漢、中国の人々の平安を願う。

読んでくれてありがとう。

おわり。









2019年12月28日土曜日

足踏みミシンでデニムジャケット製作記 4/4 静かにフィナーレ やったぞ完成編!!

今年も振り返るるとネガティブニュースに振り回された一年だった。自分の書いたのを読み返したら、自分ながらネガティブなムードがぷんぷんする。修練が足りない。

深層ではいけない傾向だとは感じつつ、年の瀬に思うのは、来年こそはポジティブ路線を標榜したい。(と思う。そして希望。)

年内の出来事を振り返るほどの余裕もない毎日で、こんな暮らしはよくないと思いつつ、忙しさの合間を縫って、ボタンホールを仕上げにかかった。と、いっても専門業者へ持ち込んでお願いする。

糸の色も選べるようだ。あまり悩むことなく、これでと指した色は濃紺というのか、チャコールグレーというのかそのあたりの感じだ。光線によって見え方は変わったりするからよほど生地の色と違うのならわかりやすいが、どちらかと言えば目立たない方の部類の色から選択した。



自宅に帰り、さっそくボタンを打った。
今年の総決算としてデニムジャケットが完成した。感動のフィナーレとなったことに、ただただ関係者や静かに見守ってくれたブログ読者諸氏に感謝したい。

いろいろと仕様をどうしようか、考えながらの同時進行で製作してきたが、迷いながら、失敗し軌道修正しながらの「完成」と言っていいだろう。


要所に耳使いしたので赤いラインがポイントになった。よくある仕様ではあるが、このセルビッジ生地の耳使いは個人的に気に入っている。


襟の内側。直線で縫うようにした。(購入したパターンの原型を変更した)
あと、カフス内側、見ごろ前立て内側、ベルト布内側をセルビッジ耳使い。



革パッチのステッチは返し縫いせず、襟側から始めて一筆書きで襟に抜けるようにした。ビンテージで見られる仕様を参考にした。後ろ見ごろもオリジナルデザインを変更してTバックにし、タックを付けた。今回のセルビッジ生地の幅が71センチだったので、ギリギリ取れなかったために2分割したのだ。


バックルベルトというのだろうか、調整ベルトを付けた。これもオリジナルパターンにはないもので適当に自作した。尾錠は針なしのものである。針の尾錠は刺さると痛いし。

足踏みミシンでデニムジャケットが完成した!!


個人で作ったジャケット一着だけのボタンホールを快く受けてやってくれたボタンホール専門業の方にも感謝。まさか手縫いで仕上げるなどとアホなことを考えて一日かけてやってみたが、専門業のボタンホールを見たとき、速さ、正確性、使用糸の色選択、コストなどつくづく太刀打ちできないということがわかった。こんなことならもっと早くお願いするべきだった。

とても良心的な価格で対応してくださったことに感謝と同時にあまりにも思った以上に安くしてくれて恐縮した。ボタンホール業はこれからますます注目分野として期待されていることも知ることが出来た。いい社会勉強をさせていただいた。しばらく下げた頭を上げることが出来ないでいる。

今回、初めてデニムジャケット製作に挑戦したきっかけを与えてくれた、型紙の会社「Full Of Patterns」さんにも改めて感謝したい。この型紙のおかげで納得いくジャケットが完成した。補正もした、若干の変更も取り入れた。基本のパターンがあってこその完成だった。

デニムジャケットを軸にいろいろとできる限りの情報収集をして、パターンを購入し、材料をそろえ、ボタンホールをお願いしたり色んな人々に支えられて一つの作品が完成した。先にも書いたが、今年も色んなネガティブニュースがある度、世間はどこまでも残酷で、しかもいじめや暴力、事故などとめどなく毎日どこかで起こっている。本当にこんな悲惨隠滅な日常が当たり前なのかと周りを見回しても、そうそうそんな事態は起こっていない。

デニムジャケットを通じて言葉を交わした人たちは善良な一市民の皆さんだ。一人一人、時として苦労されることもあるかもしれない。人知れず色んな問題を抱えているかもしれない。しかし、まんざら不幸せなのかというと、そうでもなさそうに見える。見かけで判断できないかもしれないが、縁あって言葉を交わすことがあったなら快く対応してくれる善良な人々である。ものづくりを通じて関わった方たちすべての皆様に感謝したいのと、来年もよい年であることを願いつつ・・・。

完成報告のつもりだが、実際はこれから着用し、洗濯して洗い縮みも起こるし色落ちもするだろう。くたびれることもあるだろうし、経年変化による味わいが加わったりもするかもしれない。工業製品ではない、個人作品としてのデニムジャケットはどの時点が完成なのかという明確なものはないのだと思っている。ただ、一つの節目としての完成だろう。

これからしばらくは使ったミシンの整備と使っていないミシンの整備、次に使うであろう予定のミシンの整備、そして触りたい気分のミシンの整備清掃のシーズンとなる。そして、整備した後のミシンの再点検と整備、また、次に使う予定のミシンの整備した後の再点検と再整備など整備予定が目白押しである。何を言っているのか自分でもわからないが、要するに整備するのが待ち遠しい。

実は、まだデニム生地(セルビッジ)2mが二枚残っていて、デニムパンツを作ろうと予定している。合計4mあるのでもう一度デニムジャケット(春秋用)でもいいかもしれない。今度は2ndモデルなんかもいいかもしれない。

最後まで辛抱強く読んでくれた人に感謝。どうもありがとう。

おわり



足踏みミシンでデニムジャケット製作記 3/4 ほぼ完成か? 失敗もまた人生

とうとうたどり着いた。

袖、脇を縫い、カフス、ベルト布を縫った。

はやる気持ちを抑え、袖を通した。
まだ完成はしてないがほぼ完成したと言っていいだろう。ほぼ、カニ…とかほぼホタテ…とはちがう。ほぼタラバとかもあったような。

1つ1つ挙げるときりがないが、いくつもの失敗を乗り越えてたどり着いた。しかし、(ほぼ)出来上がったら嬉しさのあまり、失敗した苦労も報われる。


失敗のない人生はつまらないと思ったり、、実際に失敗だらけの人生だから、面白い毎日を過ごしているという自負がある。(これ、世間では負け惜しみというように思うが)




素人個人が初めて作るデニムジャケットなので仕上がりの程度は必ずしも良いかどうかわからない。写真を見て色んな意見があるかと思うが、俺としては丁寧に作ったつもりだが雑かもしれない。はじめてにしてはよくできたと自画自賛して、次の創作につなげたい。着てみて気に入らないところがあればまた作るまでだ。

何事も最初からできるはずがないと自分に制限をかけたら、できるものも出来ない。

目指すべきは、今よりもほんの少しの高い目標と、自分にできないという自己暗示での縛りをやめ、どうすればできるか、それ一心で取り組めば人生は何とでもなるんじゃないかとつくづく思う。

たかが、デニムジャケット。

足ふみミシンを始めたのは、デニムジャケットを目標にしていたわけではなく、単にミシンを整備したいからという動機だった。油を差し、整備して磨いた足ふみミシンで何をしたいというわけでもなかった。整備して磨くことに喜びを感じていた。(多分世間では変態という部類だと思う)

でも、結果としてデニムジャケットが(ほぼ)完成する。

市販のパターンを使った。完全な手作りではない。ハンドメイドと言ったりするのだろうか、たいていのハンドメイドとは材料を買い、組み合わせ、加工して別のものを作るということかと思う。

そもそも生地は買った。世の中の誰かが作ったものを誰かが売っていたので誰かから買った。糸だってそうだ。革パッチだって、真鍮金型を作ったけれど、真鍮自体は東急ハンズで買った。真鍮を彫るための道具もアマゾンやホームセンターで買った。 

ありとあらゆる道具、資材、原材料、その他もろもろの多くは誰かの手によって作られたものを使った。

何が言いたいのかというと、自分だけの力で完成させたわけではなく、材料は買い揃えたし、要するに誰かの力を拝借しているのだ。


そこらへんに散らばっていた道具類を集めて撮った。

一部なので、総動員するととんでもない。多分これの100倍くらいの物量があると思う。・・・100倍は盛りすぎか?きちんと数えたことはないが、相当あるぞ。

(ほぼ)完成と言いつつ、肝心のボタンホールとボタンがまだだ。

ボタン穴かがりを手縫いでできるか一日費やしてやってみた。

発表できるような内容ではないのでテスト結果の写真は掲載しない。いくつか試作したが、使えなくもないような「おっ!」という出来栄えの穴かがりもあった。しかし、まぐれに終わった。前5個、カフス左右1個ずつ計2個の大小合わせて7個の穴を均一にかがるのは難しい。2個3個と続けてみるが、うまくできない。これでは同じ品質のボタンホールにならず、不ぞろいすぎて目指すべきものではなくなる。自分には優しい自分でもさすがに自分を許すことはできないほど、どうしようもないくらいだ。これは俺自身の腕の問題である。

修行が必要のようだ。
今の俺の技量は合格ラインには及ばない。撃沈である。ある意味当たり前さ。一日でボタンホールがかがれるはずもない。ここはあっさりと降参して、最初に書いたニュアンスと真逆になったが気にしない。はい次。

職業用ボタンホーラーは買うと1万円近くするし、できるボタン穴のかがり具合は色んな情報から察するに期待するほどの大した品質ではないように思う。一万円の設備投資でプロ級のボタンホールが出来るなら誰も苦労しないはずで、穴かがり専門業の存在意義がなくなるはずである。しかし、専門業は存在し続けているところを考えると、絶対的な違いがあるのだということだろう。

また、今ある家庭用ミシンでもできなくはない。が、しかし、ここまで来て家庭用ミシンのボタンホールのクオリティーは今回のデニムジャケットのクオリティーと釣り合わないと判断した。手縫いも即戦力では無理、したらば、専門にお願いするしかない。

ここまで来て考えると、さも自分ひとりで作ったなどという表現は適当ではなく、嘘になる。デニムジャケットの(ほぼ)完成を見て、いかに自分ひとりで生きているわけではないという当たり前を痛感する。生きている限り誰かの世話になり、誰かに迷惑をかけていることを薄々感じているが、そんなはずはないと自分に嘘をついて暮らしているのかもしれない。

この次はとうとうボタンホールが仕上がり、ボタンをつけて、リベットを打ち、最終報告となる。今回のゴールを報告できることを幸いに思う。縫製の仕上がりとデザイン、仕様などを余すことなく発表できると思う。自己満足の最高潮と言えるかもしれない。自分だけの記録のつもりだったが、ブログという記録媒体を拝借して世間にも公表するということになりそうだ。

毎度、最後まで読んでくれた人に感謝。

2019年12月19日木曜日

足踏みミシンでデニムジャケット製作記 2/4 完成前夜編 また失敗

まずはみんな大好き、失敗の話から。

ご覧の通り、折伏せ縫いの為まち針を打つ。


これは袖山。この後地獄を見る。

いい気分で縫ったはいいが、後で気づいた。縫う位置を間違えている。

全行程およそ5,60センチは縫ったが、再びほどいて待ち針を打ち直し、もう一度縫い直すことになった。シングルステッチの縫い目をほどくほどしんどいことはない。これがチェーンステッチなら一発で解決するのだが、一目ずつリッパーでほどくことになる。

案外俺はこの手の失敗に懲りていない。わかる人にはわかるがわからない人にはわからない失敗でもある。これ以上書くとますます暗くなるので詳しくは書かないでおく。



「デニムジャケットの作り方」と検索してもほとんどがダメージ加工を施す内容ばかり。ジーパンもそう。みんな破れたジーンズがとても大好きなのね。おれは笑ってしまうけれど、人それぞれ勝手だもんね。

素人の洋裁、デニムジャケットを作っている人なんて見つからない。当然、そんなの出来上がった既製品を買うに決まっている。自分で作るなんて、ありえない。

実際のところ、どのくらい素人の人やそれら周辺の人たちがデニムジャケットを自作しているのか、正確な統計値がないので何とも言えないが少なくともここに一人いる。

奥様方で、洋裁の仕事をされている方が、プライベートで縫物をされたりすることもあるだろうが、デニムジャケットを作っているような感じは見当たらない。市販の本のパターンは売られているから挑戦している人は少なからずいると思うけれど、ネットで公表していないのかもしれない。

一部コレクターマニアなどは、様々なデニムの違い、ビンテージモデルや希少性高いものをコレクションしている人がいるようだけれど、だからと自分で作っているというような変態は見当たらない。

変態の生態系は未開である。

そもそも、デニムを作るのは何がいいかというと、生地を縫うときに針棒が生地をたたき、進むときの加減やあいまいな力加減次第によるステッチの不ぞろい感、絶対の予測がつかないところ感がたまらない。これに尽きるといって過言ではない。精巧なコンピュータ制御ではない、工業用ミシンのリズムでもない、足ふみミシンだけの感覚、これが何とも言えずよいのだ。

計算された範囲の及ばない、足ふみミシンの世界なのだ。


そしてこうなる。

あとは、裾から脇、袖を一気に縫い閉じる。そうすると、いよいよ袖を通すことが出来る。この仕上がりの瞬間もたまらない。

閉じたところの写真はこの次に発表する。完成間近。と言ってもボタンホールは一山ありそうな予感がしている。目下、手縫いボタンホールを研究中である。

現在の進捗は完成イブといったところだろうか。

今日も最後まで読んでくれた人に感謝。

おわり




2019年12月17日火曜日

足踏みミシンでデニムジャケット製作記 1/4 裁断・縫製編

今日私は、デニムジャケットを手作りしている愛好家と自称してこのブログを書き進めようと思っている。ジャケットづくり愛好家ではなく、ミシン愛好家かもしれないがどうにでも受け止めてくれていい。

定規にさしがねを使うところは木工DIYのDNA。(笑ってください)



シーチングで試作した。サイズ感を知るには試作するのがいいと実感した。生地代は300円程度分の生地量だった。

先日から、試作機を少し紹介したところでもあるが、何分初めてのデニムジャケット制作なので半ば手探りで進めている。シーチング生地で試作したが、あちこち失敗があったりして、縫い直し、何度かの失敗と縫い直しを繰り返してできた。

これはあくまでサイズ感を知るためだけに作ったのだが、袖を通すとまあまあの仕上がりになったのでこれをもとに本制作に入ることにする。

目標とゴールは必ず一致しないこともあるが、おおむね目指すべき方向は以下の通り。

①自分で整備した足ふみミシンを使う。今回はJANOME TA-761を使用した。
②パターンは今回初めて市販品を採用した。Full Of Patternsさんで購入した「デニムジャケット1st.タイプ」xxlサイズ。
③パターンを一部改良してサイズUPする。(補正ともいうらしい)
④オリジナル革パッチを縫い付ける。(真鍮金型も自作)←これ自慢。
⑤オリジナルタグを縫い付ける。
⑥パターンにはない後ろ見ごろのタック、調整ベルト、耳使い(襟、見返し、袖、ベルト)などの独自加工調整を行う。
⑦縫い代はロック始末ではなくすべて折り伏せ縫いにする。ポケット以外。
⑧細かいことは気にしないけれど、気にすることもある。縫い目はまっすぐにはこだわらない。仕上がりはどちらかというと雑かもしれない。売り物とは違う、自己満足の世界の美しさがわかる人にはわかると思うと信じて疑わない。
⓽愚問を承知であえて市販されるとするならいくらの価格を目指すか、、迷いもなく諭吉5人とする。(時給換算の人件費・材料費なのか、それとも作品としての言い値なのかというと後者である)

自称愛好家としては、ミシンのコンディションは常にスクランブル体制が整っている。
今回はSINGER188Uにするか迷ったが、返し縫いレバーのスプリング機構で手を離すと前進するという親切設計の大きなお世話に少しばかりヒステリックになりそうな自分が嫌でジャノメにお願いする。

ジャノメTA-761は返し縫いレバーは完全マニュアルなので手を放しても元に戻らないためいちいち前進する際は元に戻す必要がある。俺は急がないし、いちいちレバーを前進に戻す手間を手間と思わないこともありどちらかと言えばジャノメの方が自分の感覚に沿っているようで贔屓しているのかもしれない。


ポケットのふちかがりをしているところ。


ふちかがりの出来上がり。

ご覧の通り、ロックミシンは使っていない。専用のアタッチメントが生地を左右に振りながらぎこちないジグザグ基線を描いている。




1st.モデルの特徴の一つ、プリーツはなんでこんなデザインなのか、わからなかったがどうやら縮みを克服するためのものだという説に説得力を感じた。開発当初、生地の縦の収縮率が大きいこともあり着丈が縮む。そこで前身ごろの生地は縦を横に取った。着丈は縮みにくいが、胴回り、胸囲が縮む。それを解消するためプリーツにした。そして、ボックスステッチという仕付け糸レベルの切れやすい糸でしつけると縮んだところが糸が切れて開く。そう計算していたのではないかというもの。

今作の使用糸はダイヤフェザーポリスパン糸を使用したので糸切れなどはカタン糸(綿)とは格段に違い、強靭である。プリーツを広げて着るつもりでもないのであくまでデザインだけのものといった仕上がりになる。糸にこだわるときりがないので普及している手に入れやすいものを常用している。

パンツでもジャケットでもポケットがつくと少しずつ出来上がりに期待して喜びが膨らんでくる。


ヨーク。革パッチとフックを付けた。フック位置は後程再調整しなおした。(革パッチのデザインは一部隠したので深追いしないこと)革パッチのための真鍮金型と焼き鏝には素人ゆえの時間と労力だけは掛けた。自慢と書いたが、自己満足なのだ。



後ろ見ごろ。この次、先のヨークと合体。調整ベルトは全くゆがんだ。写真ではわからないし、洗えば全体が縮んでゆがむ(はず)なので気にしない。


いよいよ襟も付いた。今回の衿付けは一発でうまくいった。もう襟は制覇したと思う(嘘)。あとは袖、カフス、ベルト、ボタン、ボタンホール、リベットと続く。

当初、オリジナルで内ポケットとか、ネーム刺しゅうとか、スマホポケットとか考えもしたが、やめた。

大体の山場は超えたが、楽しみは少し先送りしようと作業を止めた。続きは次回に。

最後まで読んでくれてありがとう。

おわり


2019年12月12日木曜日

神戸の先生へ  大好物は辛いカレー

いじめの考察

先日、神戸のセンセのにいじめに関する持論を書いた。

前回も書いたが、「いじめられるやつにも落ち度や原因がある」という意見には賛成できないと言うスタンスに対して勘違いしているヤツがいるかもしれない。それこそ文句あったらかかってこい。正当な意見なら聞いてやってもいいが、どうせいじめる側の正当な理由などない。例外があれば知りたい。


私はどんなことがあってもいじめられる人の味方である。

だが、いけないのはいじめられたからといじめ返すことはいけない。いじめを受けたのだから、いじめはいけないと主張しないといけないのに、自分をいじめた相手にいじめの仕返し、これはやってはいけない。

もし、やり返してやりたい、いつか見返してやりたいという思いがあるなら、歯を食いしばってでも努力して笑われない大人になろう。いじめたやつ以上の幸せや喜び、栄冠を勝ち取ろう。

そして、いつの日か恵まれない人々にこれでもかというほどの幸せをおすそ分けする。そんな幸せな未来を思い描いてひたむきに生きる。

これが、いじめたやつに対する正当な対抗姿勢である。

いじめたやつはしょうもない人生を歩んでいる。いつもぬかるんだ道、水たまりがあって、歩きにくい。いじめている常習者はそんな世界が普通と思い込み、生きている。ゆがんだ、どうしようもなく貧しく不幸なヤツでそんな世界から抜け出せずにいる。残念なヤツと思えなくもないが、そうそう許してはいけない。どこまでも勘違いの思考を巡らせているのだろうと笑い飛ばそうではないか。

見て見ぬふりしてた神戸の先生に告ぐ。

自分のとった行動(見て見ぬふり)がいかに社会に悪であるのかをよくよく考えなおし、正直に公表してこれからの人生をどうして生きていくのか、教師として示していくことの十字架を背負う覚悟と決意を改めて考え、その考えを実行するために世間に発表しなさい。

俺は、これからもいじめの情報を見たらこのようなブログ発信をし続ける。多分、世の中のいじめは簡単にはなくならないだろうが、ニュースを見たり、思いついたとき、このような内容のブログを書く。いじめているヤツが読むと気分が悪いかもしれない、しかし、現在もいじめられている人は気分が悪いどころではない。何の落ち度もない彼らがいじめにあい、苦しい思いを持ち続けている以上、やめるつもりはない。

いじめるな。



最後に、

俺は世界中の辛いカレーを食べてきた。常識を超えた辛さを知っているし、大好物だ。いつでもかかってこい。

おわり