2019年12月8日日曜日

故障の多いミシン 開発者の苦労の恩恵 今日もミシンは調子いい

ミシンにまつわる話を中心に好き勝手なことを書いているブログです。

と言ってもミシンの詳細を手取り足取り話す内容ではないです。実用性に乏しい、役に立たない内容かもしれません。


散歩して思いついたことを書いたりします。雑記的な内容だと思います。

時に人を見て、時に自分のことを考えています。人がいるから自分を客観視できるのかもしれません。人対自分。

自分自分と書くと、お前のことなど誰も見ていない、気にもかけていないと言われればそれはその通り。

散歩して歩きながら、信号待ちで、歩道橋を渡るとき、いつも歩きながら考えています。

答えを求めて、求めているからと答えが導かれるわけでもないことも多く、答えを求める行動、思考自体を何度も繰り返し巡っているのではないかと思うほど、どうしようもない、しょうもないことを考えます。きっと、その時々の発露は人から見られると???というようなものでしょう。

写真を挟むと読み手の人も読みやすいでしょうか。もう少し写真を増やしたいと思うのですが面倒でついやめてしまいます。従って見栄えも悪いです。つたないかもしれませんが文章を書くことを優先しています。

見栄え悪く、どんなに読まれないブログでも、自分に言い聞かせるという第一目的があるのかもしれません。自分のため・・・自分と。

よく、誰かのために、誰かのことを思って、、と聞くことがありますが、果たしてそうでしょうか?

誰かのことを思って、よかれと思って・・・。

「自分」が誰かのことを思っているのです。

私は私のために行動している、行動することが、私のためになり、ひいては私にまつわる人々、家族や身内、社会にかかわっているのだと思うのです。

衝撃的な映像と悲しいニュースが巷にあふれかえり、まるで暗黒の不幸ばかりかと錯覚してしまうような情報が当たり前になり、世間ではドラスティックなことばかりに神経をすり減らしていないでしょうか。こんなに世間の不幸ごとを正確な情報とばかり聞かされ、見せられる。


皆さんは本当にこんなに人の不幸を見たいのでしょうか。皆さんは人の不幸ごとを見て自分の抱えているいら立ちを沈めているのでしょうか。

人の幸せを喜べない、むしろ人の不幸ごとを願うような陰湿な精神にむしばまれてはいないでしょうか。

すべては自分の中にあるのではないでしょうか。

通常、ミシンというと、仕組みは上糸で下糸をすくって縫っています。上糸、下糸それぞれの糸調子の強さ加減でバランスを取り、表裏きれいな縫い目になるようにします。上、下どちらか一方の調子が強すぎたり弱すぎたりするとうまく縫えないし、縫い目がきれいにはなりません。

考え方は簡単ですし単純なのですが、ミシンという機械は精密なのです。ちょっとしたことで縫えなくなることもあるのです。少しの埃や、たった1滴のミシン油でも違うことがあります。

糸自体の特性の違いもあるだろうし、上糸と下糸の種類やメーカーが違っても問題が生じることもあります。

縫える生地の厚さ、重なり、生地の性質、生地の織り糸など色んな環境条件すべてにおいてバランスや相性があるようです。

話は戻りますが、考え方は単純です。大体においてバランスも簡単に取れます。しかし、まれにうまくいかない時があるのです。そして、うまくいかないときに思うのが、ミシンのせいだと初めに思うのです。

私も不具合に遭遇すると何度もミシンが悪い、ミシンに原因があるのだと思いました。ミシンが原因に決まっている、このミシンをどうにかしたら解決するはずだ。古いミシンだし、いい加減だめになったのだろう。新品ミシンを買いたいなぁ~。などと、アクシデントが続くときそんな風に考えていた時期もありました。

機械や人のせいにする。機械が壊れている、こんな機械を作った人が悪い。極端ですが、まあこんな風に。

ミシンにしたら迷惑な話なのです。

実は、多くの問題の原因は自分の癖だったりすることや原因の元をたどれば自分のミシンの扱いが原因なのだということも少なくないです。

確かにミシンは精密機械ですからメカニカルな部分で故障することもあります。さすがに基盤故障したりするとどうしようもないでしょうし交換することになります。それほどの故障と違う、調整・整備レベルの問題はまず、自分の扱いの癖やちょっとしたことに問題の原因があるのかと感じるようになりました。

壊れない、故障が少ないミシンがよいとされます。家庭用ミシンは最近はコンピューター制御なのでさらに精密です。自分の癖がそうさせたかどうか、もともとのミシン自体が精密なので余計に原因の特定は難しく複雑化しています。

世間で色んな出来事や問題が複雑化しているのも、ミシンの構造がより複雑化しているのと並行しているようにも思えます。

今使っているメインのミシンは約60年ほど前のものです。当時はコンピューターなんてもちろんないし、機械工学の領域です。直線しか縫うことはできませんが、今でも元気に動いていますし、縫い目も悪くありません。むしろ、よいです。

直線だけを縫うためだけのミシンですから、60年たった今でも現行機のミシンと比較してもおそらくですが直線だけなら見分けがつかないでしょう。つまり、60年ミシンの進化は進んでいない、いや、直線を縫う能力に限っては変わらない。では進化していないかというと、もちろん進化しているのです。ご存じの通り、足ふみではなく電動モーター、針停止位置、自動糸切り、押さえ圧の制御など、コンピューター制御によるものです。これらのほとんどは直線を縫うという機能にはあまり関係していないところの機能であるように思います。

色んな機能が開発され、複雑になり本来の縫うという目的に関する周辺のことについてとても使いやすくなっていったのでしょう。

直線だけなので、複雑な構造ではないことも故障が少ない要因であると思います。ひたすら直線だけを縫うことだけに徹している、そんなヤツなんですね。

時代とともに進化し続けるミシンで色んな楽しみが広がり、そしてアクシデントや故障に遭遇して修理費用と天秤に買い替えるサイクルはどんどん早くなる。メーカーや関連企業の人たちは生き残りに必死なわけです。残念ですが私はそんな方たちからの嫌われ者。
なのかもしれません。

ただ、そんな私でも当時の開発者やブランドにかかわった方にはとても尊敬の念を抱かない日はありません。60年も前のミシンですから80歳以上あたりの方たちでしょう。彼らの様々な労力、犠牲、開発に掛ける情熱、間接的にかかわった方、その家族に・・・そうしたすべての人々から受けた恩恵に、ただただ感謝。








2019年12月4日水曜日

大人のいじめ  自分の胸に手を当てて  神戸の先生

神戸のいじめ先生のニュース、大人のいじめを考える。

いじめ自体、大人子供関係なく存在している。

いじめ…と検索したら子供についてのものだったりすることが多く、大人のいじめが少ないと錯覚しそうになった。しかし大人にこそいじめの連鎖原因を解決できない根深い闇がある。子どもはそんな大人の姿を見ている。


いじめられる側にも問題がある、という論調の意見があるがいじめる側の自衛でしかない。いじめる方が悪いに決まっている。特にいじめているという認識の欠如は人格的に当人の何らかの障害や本人自身の心の問題があるのだろう。


世間の風潮はいじめは悪とされながら身近に起こっているいじめがいじめだと認識出来ないのか、知らん顔するのもいじめていることと道義的におなじだ。

つまり、はたで見てた先生方もおなじである。まさか、こんなに騒ぎになって、初めて気づいたというならますます悪である。教える師が、模範となるはずの行動とは真逆の結果を導いたことはとても残念な現実であった。こんな現実は知らずにいたかったが、テレビの視聴率が取れるし、ゴシップ雑誌も売れるし、評論家先生も仕事が増える。世間は格好のネタを見つけ、しばらくの間は騒がしいだろう。

聖職者の罪はいつだって存在している。今回の神戸の先生たちだけではないが、見せしめにはなったろうし、抑止力としては一定の効果はあるだろう。いじめられている諸君に告ぐ。少しだけ今よりも明るい未来があるのだということを。

中学生の時、同級生の女の子がいじめられていた。男子生徒が少しずつ騒ぎ立てた。

女子生徒は生まれつき体臭が強い子で、思春期になりさらに体臭が増したのかもしれない。大人の香りが漂っていた。俺は特段臭いなどと思うことはないのだが、他の男子生徒が「臭い」と言い出す。つられたのかほかの男子生徒もひそひそ声で悪口を言い出すヤツが出始める。

そんな残念な状況が続いて、俺は見て見ぬふりをした。優しく声をかけることもできなかったが臭いなどということは言わなかった。ただ、傍観者としていじめられている女子生徒を守ることすらできないで今思うと、結果的にはいじめていた男子生徒の片棒を担ぐような態度だといわれても仕方がないことだった。俺は、毅然と男子生徒に注意するべきだった。

ある日、女の子は担任から促されクラス全員いる教室の前で自分のことを話し始めた。

体臭は自分のせいじゃない。
臭いと思うかもしれないが、いじめないでほしい。
正直に話すととてもしんどい。家で家族に相談したし今でも悩んでいる。

そう、みんなの前で打ち明けた。

話し終え、しばらく静まり返った。

そのあと担任が何かを言ったかどうかは記憶にないが、彼女の思いを打ち明けたあの時の気持ちは今でも忘れない。どんなにつらかったろう。

読書が好きで、本の話をしたことがあった。すでに到底及ばないほどの読書家だった。知性ある女の子できらりと光る魅力があった。

中学生のころ、到底女子と気軽に話すこともほとんどなかったが、今更ながら話をする機会もないし何も力になれなかったという残念な自分。

女の子は神戸の先生と同じ、だれも助けてくれないと絶望したかもしれない。俺は助けることが出来なかった。

今更ではあるがせめて、自分の罪を発表し、今後これを読んでくれた善意ある、心意気ある青少年、社会人、全世代の人々に言いたいのだ。いじめるな。傍観するな。

もし、今現在いじめられているのなら、決してあなたは悪くない。毅然とした態度で間違いない。傍観していた俺のようなヤツがもしかすると味方になってくれるかもしれない。わかってくれる人は必ず存在する。

いじめる側の心理はいろいろあるが、自分自身の弱さから人を攻撃するというのが基本だからいじめる側は既に破綻しているのだ。

いじめられる側にも何らかの非があるという意見の人、自分の胸に手を当てて考えてからものを言え。

俺は、今更遅いかもしれないがあの時に助けることが出来なかった女の子に今でもわびたい。どうすればいいのだろうかと時折思い出す。

・・・・


もっともらしい、正義を振りかざした内容だったつもりが、自分自身が断罪されるのだという事実を発表したかったのかもしれない。

生きながら、誰かを殺し、傷つけ、自分は素知らぬ顔の毎日。



最後まで読んでくれてありがとう。

おわり









2019年12月3日火曜日

Gジャン 1Stモデル制作 失敗と高付加価値と平日画家

ジージャン1stモデルのための試作2号機だ。

試作初号機の失敗を省みて胸囲、袖の開き、全体のバランスを考えて各所をサイズUPした型紙を作った。これを再びシーチング生地に写して2号機の制作に入った。小さな失敗はいつもながらにあったが、すばらしい修正力を持ってして試作2号機の完成を見た。

何が完成か、成功したかどうかについては俺自身の内的な問題である。
今回のGジャン制作にあたって、自己流のミシン縫製による個人的創作現場の独白だろうと思ってくれ。

失敗箇所は写真で見ての通り。(見たところで写真が小さいのでよくわからない)




完成を目指してこれまでやったことない「試作」という工程を取り入れた。いままでジーパンはぶっつけ本番で作っていたので出来上がると丁度良いいサイズが、洗うと縮むので予想外に縮んだのには面食らったこともある。そんなことも考えず、ご機嫌さんでせっせと作ってみてはいて洗って縮んでしまう。

当たり前といえばそうなのだが、生地の個体差もあるしそもそも防縮加工などしていないだろうし、いわゆる生デニムなので縮むは当たり前なのだ。

縮みを調べるためのテストをするほど生地の余分がない。余分に買えばいいのだが余分の生地代をついケチってしまう。根本的な問題であり、職業ではない創作の世界と言えば聞こえはいいがただのケチなのだ。いや、ここは始末していると言い換えておこう。



試作なのでカフス、ベルト布は縫わない。ボタン、ボタンホールも作らない。あくまでも全体のバランスとサイズ感を知るためだ。一部ステッチと袖の開きの仕様を確認する必要があったので試作しながらテストしたりもした。

袖を通してみた。

おおおおっ、サイズ感はいい。この補正したパターンでおおむね本制作にとりかかっていいだろう。

ただ出来上がった2号機を見て、反省点として抽出した課題が以下の通り。

①折り伏せ縫いの重なりの厚みが難しい。特に袖付けのカーブなどが多い部分。
②今回もいくつかの箇所でセルビッジ(耳)を使う。そこには折り返ししない。
③後ろ見ごろの切り替え部について、いわゆる1Stモデルは一枚布で仕上がっている写真をいくつか見たが、今回使用するパターンは1Stモデルと言いつつ、切り替えされている。パターン屋さんのオリジナル1stモデルといったところだろう。本作はもう少しビンテージ1Stモデルに寄せるよう一枚布仕様にするべきか思案中。
④市販パターンをサイズUPしたことによるポケット位置の適正配置が必要である。
⑤後ろ見ごろのプリーツ(ダーツというのか)部分の仕様ももう少し何とかしたい。

プラスアルファ、ほかにも挙げる事柄はあるが、仕上がり発表を予定しているのでその時に書こうと思う。



セルビッジにも色んな色があるようだ。今回予定している生地。


今回掲載した写真は最近買ったスマホのカメラ、ファーウェイP30liteで撮影した。広角レンズ、画角がワイドなのがいいと思う。

中華スマホだが、高性能で文句なしのスマホだ。なんでも中華製を品質の低い代名詞になっていた時代だったことを思うと、もう時代はとっくに中華製万歳の状態で、世界基準の目で見ると日本産を謳う営業スタイルはぼやぼやしているうちに笑われてしまっているのではないだろうか。

高性能、高機能、高価格帯の良い製品だけがちやほやされるのではなく、ほどほどの性能や機能でも安くて買いやすい、ハードルの低いものが世界的には評価されている一面がある。

日本製、Made in JAPANなどとアピールしているが冷ややかに見ている購買層もいるかもしれない。価格が高い=自分にとって必要な品質、機能ではなく、低価格=必要最小限の機能で満足という懐にやさしい考え方を抱くひともいるのかもしれない。

高性能や高機能を否定するつもりはないが、だれもがすべてそんなものを必要とする世界もおかしいと気付くべきで、極論かもしれないが世界の富の半分は観光バス1台か2台程度の乗客数が占めているという。残りの富、半分を世界の人々でわけわけしている。この現実を考えたとき、果たして富を独占することほど残念なことはないのではないかと思うが、独占した側の立場にも気持ちにも近づくことがないので想像でしかない。

いままで色んな人の死に目には立ち会う機会があった。思うところ誰しも金を抱きかかえて死んでいく者はなかった。さすがに観光バスに乗った人の最後は知らない。見ていない。どうすんだろうか。

彼ら、富を持つ者たちは高性能、高機能だらけの余生を暮らしているのだろうか。

俺はGジャンを作る。いろんな過程で失敗するしその分のコストや手間もかかる。うまくできる保証はない。(誰に保証するわけでもないが)素人という言い訳で遊んでいる。遊び・素人と言いながら程よく素人ではないという自負もどこかにあり、素人ではないけれどプロでもない。独自の「作品」を作っている。いわゆる「商品」ではない。この違いは明らかに別物だ。

「日曜画家」と半ば揶揄される表現もあるが、例に倣い差し詰め「日曜何ちゃら」だろうか。職業画家が日曜画家より優れた能力があるのかはさておき、覚悟を持っているかどうかの微妙な違いを感じるこという事実は否定できない。

生計が関与する職業画家の方がどことなく媚びている。だからだめだということでなく、生きるための知恵を持ち合わせた処世術を高めているのだと思う。この点において、素人とは違う、所以があるのだろうと思う。平日画家とでも言おうか。

趣味とは違う、ホビーというのに近いのかも知れない。

おわり





















2019年11月24日日曜日

思いのほか失敗 Gジャン1stモデル 

Gジャン作りのための試作をシーチング生地で作ってみた。

今回は初めて市販のパターンで挑戦しようと思っている。


今までは図書館で借りたメンズソーイングの付録パターンを活用していた。
デニムパンツ、パジャマ、ステテコ、シャツ、トランクスなど、一通りとまではいかないけれど、まあまあ作った。

市販の本を重点的に活用していたが、市販本についてはメンズパターンという世界は狭い。出版されている冊数というか、著作は少なく、選ぶことを許されない。まるで社会主義国を彷彿とさせる。メンズパターンの著作の世界はそんなニッチな世界でもある。それだけ熱烈なミシン男は全国で十人足らずである。世界レベルでおそらく200人くらいだろう。世界の社会主義国のミシン男を全部数えても5人も満たないだろう。200人とは多くが民主国家の経済資本主義の金欲にまみれた人々のDIYだ。

シーチングで試作を作った。

サイズを確認したい。出来上がりサイズは2Lなのだが、袖を通してみると窮屈だということがわかった。本番の生地を使っていきなり作らないで正解だった。試作段階なので失敗することで、よりよい完成に仕上がることが期待できる。

失敗は成功の元というし、失敗を笑うのはよくない。失敗こそ人生の醍醐味である。

腕の周りがきつい。
胸囲もきつい。
肩幅はぴったり。
丈もよい。
カフスもぴったりだろう。袖の開き具合はやや窮屈だ。

全体的に、細見のパターンだと知って買ったのだが、デニムを洗うと縮むので細見から極細になりおれの体形には無理がある。縮まなければ着れなくもないが、必ず少し縮むから見越してゆとりある仕上がりになるよう調整が必要だとわかった。

ここからはパターン補正になる。
図書館で借りた本のパターンもやはり補正をしないと自分のサイズには合わない。これは売り物のパターンでも同様。売り物だからサイズが合うなどありえない。標準体型を基本に作られたものだから、当然なのだ。

体形に合った服を着るということは仕立て屋さんに行くなりして自分のオーダーメイドを作るのが本当の意味で理想なのだと思うが、そんな世界はテーラーさんが大流行、既製品という概念が覆るということになるので市場原理からしても難しい問題だろう。

補正は自分でCADを使えるなら簡単なのかもしれないがアナログで手直しだ。

最初、試作段階では雑に作ったので生地の表裏を間違えたり、手順がわからなかったり、色んな間違いに気づいた。袖を通せるようにまでこぎつけたが、袖を通してみるとサイズ感がわかった。微調整で軌道修正ができるようだと感じたので改めて補正したパターンを作り、厚紙に写してカットした。

補正したパターンで再び試作する。シーチングは1メートルあたり100円程度と安い(日本の物価水準で考えるという条件付き)。W幅(150くらい)なので遠慮なくじゃぶじゃぶ使える。失敗しても知れている。試作1号機はおよそ3メートル程使ったかどうかというくらいなので、300円で完成イメージをつかめるのと、練習もかねてミシンを動かし、遊べるわけだ。今時、喫茶店でコーヒーも300ではなかなか飲めない。300円で2日間かけて試作したので十分元は取れただろうか。

問題は、2日間自宅軟禁状態なので運動不足に陥る。散歩でもしなければどうしようもない。

1stモデルとは何ぞ、と検索すると出る出る。
(今回試して購入したパターン Full Of Patternsより)

うんちくはさておき、自分は今回のGジャンでどんな仕様に仕上げるのか、検索で見つけた色んな情報を元に試行錯誤である。

尾錠の針、針なし、形状、ポケットフラップ、ダーツ押さえのためのステッチ、その位置、ボタン、糸の違いや染、生地自体のことなどさらに追及できるのだろう。きりがない。

前に作ったオーバーオールはアイアンハートの写真を中心にデザインを真似た。真似から自分のものにすることを批判する人もいるかもしれないが、俺は商売ではないのだから何をコピーしたり真似したりするのは完全無欠の自由なのだ。むしろ、パターンに著作要素はあるのだろうか。パターンに記載された文章なら著作ととらえることはできるのだろうか。

補足すると、アイアンハートの写真を見て参考の一つにはしたがほかのブランドのディテールも市場調査したり、違うジーンズ製品の仕様を参考にしたり、あらゆる分野のアパレルを様々な角度から見聞きし、経験した総合的な見地から俺のオーバーオールは完成に至った。

問題は、あまりにもアイアンハートのオーバーオールに寄せた仕上がりになったので、もしもアイアンハートのデザイナーさんが散歩する俺を見たとき、、よく見るとこのおっさんの着ている服、えらいアイアンハートのオーバーオールもどきのデザインだなぁ・・・と、思わなくもないかもしれない。かもしれない・・・である。

ないとは思うが、もしそんな場面があったら断っておく。一声かけてくれたまえ。

著作について、もう一つ。

散歩していると時々見かけるが、店の看板にドラえもんとかミッキーマウスとか、鉄腕アトムとかキャラクターの絵を描いたのを見かけたりするが、どうも許可を取ってないのじゃないかと思えるような看板を見かける。あれはアウトだろうと思うが、いちいち訴訟を起こす手間を考えて訴訟しないということを逆手にとって悪用しているとしか思えない。やっちゃった感満載だ。度胸がある。

料理レシピも同様、レシピ自体に著作はないと聞く。
俺のオムレツは卵3個、塩、油を使う。これは著作ではない。誰でも大体同じである。

なかには牛乳30cc入れる人、油はオリーブオイル、胡椒も入れるなど色んなレシピやアレンジはあるし自由に誰でもオムレツを作る。そのレシピを使って作ったオムレツを誰が真似しやがって!と批判するやつがいるだろうか?

真似やコピーは社会規範があるので時代に即した立ち回りが求められるということに尽きる。


おわり















2019年11月21日木曜日

ファーウェイ P30liteの印象 尻割れズボン 冬支度のための考察 

HUAWEI P30liteの印象は悪くない。結論は、中華スマホ万歳である。

比較するほどの経験がないので具体的な基準はないが、、俺は使ってみて不便で使えないということはない。むしろ上物だと思う。中級機という位置づけらしいと何かで見聞きしたが、上を見てはきりがない。

OCNモバイルONEの料金プランの一番安いヤツ、音声通話付きのSim、一日110メガで十分使えている。

最初、110メガと聞いて、大丈夫かと思ったのだが、全然問題ない。10ギガ、20ギガ、30ギカなど容量の多いプランもあるが、それほどのヘビーユーザーではないと実感した。しかし、不足があれば月単位でプランを変更できるようだし、110メガを超過しても翌日には再び110メガを使える。しかも残った分は翌日までに限り繰り越せるようだ。

キャリアと呼ばれている会社の場合、月々の支払は1万近くするようだし、それに比べると1600円+Tax、通信使用量に応じた料金だけなので親切会計だ。

もちろん、いろんな格安スマホ、会社があって選択肢や組み合わせ次第でより豊かなスマホライフを満喫できるようである。

しかしながら、つい画面に夢中になりうつむいてしまう姿勢はいけない。周りが見えなくなるので危険極まりない。路上などではマジで車にひき殺されそうになる。

いい面、そうとは言えない面があるので今後の使い方もどうなるのかわからないが、それまでのガラケーに比べると別人、別物だということだけはわかった。知らずに済めばそれはそれでよかったのだが・・・そのうち5Gが当たり前の季節だろう。残念なのは国内メーカーの元気のなさが気になる。もう、スマホ業界は他国メーカーに完全に置いてけぼりのようだ。

決定的な問題は、PCのキーボードのようなピッチでの操作と違ってスマホの小さな画面上をタップする感覚、操作感はどうしようもなく、おもちゃ感をぬぐい切れない宿命だろう。

30年前の中国は、子供なんかは尻割れズボンをはかされ、催したらそこら中の道端で・・・多分、あのころ見た子供世代が今の中華スマホの世界を席巻している主流のエンジニアなのかと思うと、感慨深いものがある。このようなことを世間に発表してわからない人も多いだろうが。

真冬の寒い時期でも父さんは息子に尻割れズボンを穿かせ、肩車して街を歩いている後ろ姿が俺の中国の印象の一つとして焼き付いている。



しばらくぶりで休暇中のミシンを引っ張り出し、注油と簡単な動作確認、整備をして再び休んでもらう。現在、Gジャンを制作予定で型紙を買った。一度シーチングで試作してから本作に入ろうと意気込んでいる。サイズ感を確かめたいのと、作ったことのないGジャンをどんなふうに俺仕様に手を加えるかをシュミレーションしたい。

一つのGジャンで試作、本縫いと二度遊べる。

今のところ、計画は以下の通り。

セルビッジデニム、12.5ozくらいの岡山産生地。
いわゆる1Stモデルを踏襲しつつ、ポケット、革パッチなどに独創性を込めたい。
主張しすぎない、控えめなデザイン。むしろ地味と言えるかもしれないが、1Stモデルと言われている表情は大きく変えたくない。

試作ではサイズ、ポケットデザインやその位置決め、袖の空き具合(袖まくりしたときの窮屈さがないように仕上げたい)、欲張って内ポケットやネーム刺しゅうも計画に含めるかどうかをグダグダ迷っている。

寒い冬が近づいてきた。急がねば。








2019年11月14日木曜日

self-taught  ジモティーで不用品処分できた

ミシン整備、洋裁、いずれも素人ながら独学。

世間で控えめな方は、どこかの教室で学んだとか、誰かに教えてもらったという人も多いのではないかと思う。

私はそういった枠組みには属せず、というよりそんなコミュニティに属することが出来ないし、こんなやつでもと、許して仲間として受け入れてもらえないという見方次第では残念なヤツだ。誰か特定の人物にコーチしてもらったことはない。

独学なので自分のためであって、ある意味誰からも文句を言われず、あらゆることでも自由だ。

どこか洋裁教室に通うと、指定のミシンや用品の勧誘と掟に従い、手取り足取り指導してくれるだろう。幸い独学はそんなしがらみはない。

独学たる所以の情報源は本、ネット、販売されている商品を見るのも実地勉強になる。生地を見て触るだけでも大いに有効だ。町ゆく人の着ている服を見るだけでもいい。

独学という響きはどこかしら偉そうに聞こえなくもないが、教わることが出来ないとても残念な状況だといえなくもない。

学ぶという意味でガッツがあるようにも聞こえるが、独学故の偏った情報や知らないこともたくさんあり、結局遠回りしているのか最短距離を突っ走っているのかわからない。

目標とする到達点は自分で決める。俺の洋裁は独学でマスターした(つもりだ)が、現在の到達点を客観視すると、世間的には中級者クラスかというところだろうと思う。しかし、初心者の人からしたら上級者に見えるかもしれないし、反面、本当の意味で洋裁のプロからするとただの素人だ。そもそも独学の領域をクラス分けするのに無理があるのだが。

従って、今後も知らないことを行き当たりばったりで頭を打ちつつ体で覚えるのだろう。

これからの途上もまたよしである。

素人・・・で思い出す。販売サイトの写真を見ると、素人などと到底思えない出来栄え写真はときに感心する。どのようにして素人ととらえればいいのか境界線はわからない。素人と言いながら、きちんとしたプロダクト製品だとしか思えないような作家と言われるような、個だが相当な技能を追求した人達がいる。見習いたいが、とても真似できない。

素人と作家、プロの境はあいまいなのだとも言えるのか。いやいや、歴然としてるよ。

ただ、同系列で比較するには無理があるように思う。

素人の俺は、自由に好きにしているから製品を作るわけでもないし、売り物であるはずもない。売らないし売れるはずもない、売らない。

作りはするが、個人で楽しむ趣味の領域という表現が近い。しかし、趣味という領域と違う次元だと思っている。俺独自の世界観を醸していると自負して創作している。それを趣味というのよと言われればそれまでだが。

一方、DIYという言葉は広い意味かと思うので、独学よりもDIYとするのがいいかもしれない。軽いニュアンスだし、がっつりDIYもあるだろうし、ちょっとDIYとか、なんちゃってDIYとか、DIYもどきとか、似非DIYと、本気DIYとかあげるときりがないくらいどんな表現でもマッチするな。

独学などさておいて、DIYで幸せと人生を考えよう。


先日、ジモティーで台車を譲りますとしたら、希望者が殺到した。
およそ、10年ほど前に引っ越しのために使うからとホームセンターで7500円くらいで買ったよく見るタイプの折り畳み式台車でしばらく使わず保管するにも場所がもったいない。

500円で募集したら、希望者が殺到した。希望者に返信が大変で、中にはただ、頂戴としかメッセージをよこさないヤツや、自分の都合ばかり言ってくるやつなどだらしなくきちんとした内容でないヤツなど大勢いた。

さすがに古いといっても機能するし、故障もない。くどいやつがいて、故障はないのかと散々念を押してくるヤツもいた。500円だからだろう。画面では動く様子は確認できない。買ったとたん壊れたら困るということだろう。

値付けの500円はさすがに安いと思った。連絡くれた人にすべて断ってから改めて2000円でと募集したところ、問い合わせが止まった。価格設定が高すぎたかと案じたが、間もなくきちんと取引出来そうな人からの連絡があって何度かのやり取りで気持ちよく引き渡しまでこぎつけた。安すぎる価格設定はかえっていい加減なヤツが寄ってきていけない。適正価格というものがあるのだとつくづく思った。




おわり










2019年11月10日日曜日

人生で重要なことは

最近、閲覧履歴が微増して驚いている。

半年前、毎日のように書いていたが、読者数はゼロの連続で誰も読んでいる気配はなく気分良かった。ひたすら自由にぼやいていただけだからだ。もちろん反響もないし、誰にも読まれることのない俺だけの世界だった。と思った。

どういうわけか、読者はゼロベースで書いてきたつもりだが、最近は誰かが読んでいる気配がある。これはおかしい。俺は誰も読みもしないだろうと思って勝手なことを書いていたし、ほぼ自分のことを書いていた。

そんな与太話を誰かが読んでいるのだ。

これはまずい。

人から見られるとなっては自分の行いを見張られているようで、どうも居心地が悪い。

これはブログなので出入り自由だからもちろん誰が読むかはわからないし、誰にでも読んでもらって良いのだが、始めた当初は読んでくれる人がいるかもしれないとちょっと期待したり、誰にも読まれていないだろうと安堵した。

読まれたいという承認欲求は俺にもあるのか、読んでもらえることは正直言って素直にうれしい気持ちもある。

社会の中で生きている証なのだろうと思うが、初心に帰ると、誰からも読まれずであってもいいことだと思って続けていた。

問題は、己の「承認欲求」だ。

誰かに読んでもらったら、こんな意見でも受け入れて欲しいと思っていたり、批判を受けたり、賛同してもらえるなどと考えながら書き進めることがしんどくなってくるかもしれない。正直なところ、ビビっているのかもしれない。

まだ自分自身の見張られ度合い、居心地悪さは深刻でもない。

ここまで書き進めてきたのも自分の考えの整理のためでもある。ついでに読んでくれる人がいるのは困るわけでもないし、むしろありがたいと受け止めている。

そもそも、時間つぶしに付き合ってくれたら良いくらい・・・という程度ではじめた。期待されるようなことは書いていないし、書けないと思う。その通り。

どこかに誰かからの期待に応えたいという、頼まれもしないのに責任感が芽生えることもあるのかどうか。そんな自分を慎重に見極めてみたい。


このブログ内容と同じ、人生で重要なことなんてないに等しい。

仕事も必要だろうか。大切な仕事などそれほどないのではないかと思う。
真面目に働いているのに時々我に返るとばかばかしいと感じる。

あなたの仕事は重要ですか?本当のところどうでしょう。

重要と思っているけれど、実はそれほどでもないということもあるでしょう。働かないと飯が食えない。というが、そうだろうか。みんなが一斉に「辞めた!」となれば、本当に大切な仕事が見えてくるかもしれないだろうが、余計なことばかりしてパワハラ、モラハラ、いじめ、誹謗中傷、人のせいにする。本当の仕事をしなければいけない時にそんな暇なことはできないはずである。

いかに余剰な人員を抱えて社会が成り立っているのか、見方を変えるとそんな風に考えることもできるのではないだろうか。

いかに働いているふりをするのも大事だ。遊びながら給料もらう生き方であろう。多くの人を養うことを社会的な暗黙の合意があるのかもしれない。

あなたが先か私が先かはわからないが、いずれ死ぬ。それまでの暇つぶしに考えを巡らせよう。

こんなブログだが読んでくれた人に感謝。

おわり