2019年5月25日土曜日

made in occupide japan

ヤフオクで足踏みミシンを見ていたらこんなプレートをつけた足踏みミシンを見つけた。

「Made in occupied japan」(占領下の日本製)

思わず入札に参加しようか迷った。GHQが統治したころの蛇の目だから1945年から1952年ごろの製造になる。

戦時中も占領下でもミシンは活動していた。ミシンはそもそも軍服を大量生産するためにも使われただろうが、戦後のミシン製造は平和産業として脚光だった。

マシンがなまってミシン、マシンガンの連続運動の応用がミシンでもあり、戦後の軍需産業を転換させたのが縫製機械産業だった。

多くのメーカーがミシンを作って、関連する部品パーツを製造する零細企業や数多の人々が関わった時代の物づくりをミシンを通じて考えさせられている。

今のミシンは普通に使っていると15年くらいが寿命らしい。使い方によるけれど、樹脂パーツは劣化するし、金属よりもやわらかいので欠けたりもする。部品保有は製造終了後8年で打ち切り。大切に使ってもおのずと経済活動に協力を迫られる。消耗品だからだ。

昔のミシン、鉄鋳物のは償却までの年数は数十年と考えられて作られていたと思うが、消費サイクルの回転数を上げる時代を作ることで景気も上げた。いつまでも耐用するミシンを使ってはいけない。いや、使うのは勝手だが、修理はしませんよというスタンスでメーカーも新型機種を売りたい。

しかしマーケットはすでに終了している感ぷんぷんしている。国内だめなら外国でと行きたいが、外国もさほどで、むしろ電気なくても動く足踏みが活躍している国もいまだ沢山あるそう。

だからミシン関連産業の皆さんが、仕事の後のおつかれさま乾杯!を「ビール」でというには程遠く、多くの方は第二、第三ビールで我慢しているのは今のミシンを見ると想像できなくもないではないだろうか。いや、我慢でなく、ビールテイストでもなかなかやるのだ。ビールメーカーが知恵を絞ってビールに迫るうまさを追求したのだ。

乾杯で思い出した。

乾杯は「日本酒」で。そんな条例を作って日本酒を見直そうとがんばっている人達もいるようで、賛同したい。(酒を飲めたら何でもいいのだが)

ビールで乾杯だっていいのだが、日本人というアイデンティティを自覚するのに日本酒もいいでしょう。

さすがに着物を国産ミシンで縫いましょうとは言わないわな。着物はてぬいだしな。

「占領下」のプレートを作ることは屈辱だったろう。大変だったろう。あるいはやっと戦争が終わって、やれやれ感が漂っていたのだろうか。

 

おわり











2019年5月19日日曜日

ミシンを止めて黙祷    毒を吐く

交通ルールを守っても交通事故が起こり、死亡事故に至る。

池袋、滋賀の事故はいずれも交通ルールを守っていた罪ない人々が、守らないドライバーのせいでいたたまれない被害が生じた。速度超過や前方不注意の違反者が罪ない人の命を奪った。

以前からこのブログに書いてきたが、散歩中の街中で標識に従って一時停止している車を一度も見たことがない。大げさな表現と思われるが、事実だ。

一時停止は、少なくとも停止線前2メートルまでの間に完全に停止することと教習で習った。停止とは少なくとも2秒間は静止する。そして左右の安全確認後、安全であれば進むことが出来るのだが、この行程の一部どころか、すべて守れていない車が当たり前状態だ。奇跡的に守っている車を見ると、ドライバーは外国人なのではないかと錯覚することがある。

近くの交番に申し入れしに行った。
対応に当たってくれた警官は、親切な態度で「パトロールしときますっ!」と対応してくれたが、その後、停止線付近をパトロールしている様子はその後もない。

警官がこの街の安全、安心を守るのではないようで、交通ルールは守られず、街中交通事故のリスクはますます高まるばかりだ。歩くなら命を差し出すつもりの覚悟がいる。

池袋の高齢爺は「ブレーキを踏んだのにきかなかった」被害者は死んでしまったのにこの発言は信じがたい。少なくとも「ブレーキを踏んだとおもったが暴走してとめることが出来なかった」くらいの発言ならまだしも。

正しい運転技能があれば、暴走はしない。ブレーキはフットブレーキの他にエンジンブレーキとパーキングブレーキがある。フットブレーキを踏んで効かなければエンジン、パーキングのそれぞれのブレーキを駆使しないといけない。

つまり、そんな対処が出来ない爺はすでに運転する基本の運動・判断能力がない状態だったと報道から解釈できる。

まだ、滋賀の加害者の報道のように、「前を見ていなかった」と言う発言のほうが適切な事実を伝えているだろう。

池袋爺の方は報道内容は事実(正確)なのかどうか怪しいが、事実なら加害者の厳罰を求める世論は理解できる。「上級国民」はどうでもいいが、交通ルールを守れず、運動能力を自覚しない、運動能力のないドライバーにはそもそも運転資格がない。

交通ルールを取り締まれない警察と交通ルールを守れないドライバー、守られない交通ルール、無資格者には相当の問題がある。やはりスピードの出しすぎが大きな原因の一つであることに間違いないだろう。

車の仕組みを向上させて事故を防ぐ、事故が起こらない未来を待つしかないのか、それまでにルールと取り締まり対策、法改正で速い手を打つ必要がある。

亡くなられた方、ご遺族、その家族、友人、知人、親しい人に心から哀悼する。

残念ながら、悲しむべき事故の結果、本来なら生きるべき人の命が絶たれ、悲しむ人がまた増えた。

警察にお願い。

小さな、軽微な違反やマナー違反のレベルでの取り締まりの必要性をもう一度考え、対策を強化して事故の抑止、事故の防止と重大事故の撲滅のための積極的活動をして欲しい。たった今でも街中のあちこちで一時停止を無視されているし、悪質なあおり運転はどこにでも起きているだろう。死亡事故につながる危険運転は散歩している俺でも毎日毎日複数回見かける。



ミシンを止めて、


一路平安。



2019年5月17日金曜日

ただいま航海中 オーバーオール ~構想・準備編~

5月も半ばを過ぎ、そろそろ夏を感じさせる気温上昇で水分補給をこまめにするなど熱中症対策を心がけましょう。


2月にオーバーオールを作ろうと計画した。

オーバーオールはいまどき人気がない。マーケットの中心ターゲットはお子様、女子の好む傾向があり、おっさんが着るとただの作業着となっていることが多い。(一部マニアを除く)

使用されている生地は通常のデニムが14オンス前後が標準のところ、11オンス前後が多く比較的にやや薄く感じ、一本に使用される生地使用量が多くなることもあり仕方がない。

メンズオーバーオールは販売している店舗も見つけるのに至難する。ネット通販ならあるのでないことはないのだが、人気は低いといわざるを得ない。

アイアンハートのモデルはちょっと注目したい。

アイアンハートはダブルニーという、前身ごろのウエスト下ら膝下にかけてもう一枚の生地をあしらわれたデザインが特徴で、膝部分の生地厚が二重になることで堅牢性を備えたものに仕上がっている。生地は21ozのセルビッジを使っているそうな。大人の男が着てよしという印象だ。

買うと3万円を超えるみたいなのでおいそれと手が出ない。懐事情を鑑み、コイツをオリジナル仕様で自作しようと考えた。オーバーオールという新たな領域に挑戦だ。

皆さんご存知のようにオーバーオールはエプロンのような胸当てと腰からつながる肩紐が一体につながった構成になっている。この部分が研究製作の醍醐味なのではないだろうかと思った。

まず参考にしたのはムッシュ杉本の「シルエットのきれいなメンズパンツ」だ。

少ないメンズパターン本のカテゴリーの中、オーバーオールを唯一掲載しているすばらしい本だ。素人には大変ありがたい。いつもの図書館で拝借。

ムッシュのパターン本は、簡単に仕上げることが出来るよう配慮されたところがあるので親切設計といえるが、半面若干物足りない気もしないでもない。

デザインの好みも分かれる。
ネット写真のアイアンハートのディテールとムッシュ杉本の本に掲載されている写真を穴が開くほど見比べてみたところ、ダブルニーの部分を除いても肩紐の背中の縫製方法に相当違いがあり、ムッシュ杉本のほうは後ろパンツの腰から上は連続した一枚続きを使用しているが、アイアンハートは前後ともウエストが切り替えられている。

細かい部分を見比べるとアイアンハートはさすがに評価が高いのもうなづける。

ムッシュ杉本のほうはパターン本としてパンツソーイングを初めてでも簡単に出来るように工夫されているのでこれからのミシン挑戦者にも入門編としてお勧めできるのではないか。

また、サイズも複数用意されているから女性でも着用できるサイズが備わっている。ストライクゾーンが広い。

実際写真モデルも男女二人が掲載されていた。女子用としてSサイズを製作してくれと言うことらしい。印象としては女子モデルの写真のイメージは、かわいいという印象があっていいのだがメンズの場合も、「かわいい」は悪くないが、これからオーバーオールを着ようとしている俺には若干歳を取りすぎた。

そんなことから、ムッシュの本を基本に、ディテールとステッチ、デザインのいくつかのヒントをアイアンハートに寄せたい。



生地はいつものハギレ屋のデニムでW幅×2m/700円(税込み)を2枚買った。
失敗しても痛みは最小限だ。ozはライトオンス程度かと思う。

市場調査に出かけた。しかし、メンズオーバーオールは散歩をしてもなかなか見当たらない。アイアンハートの取扱店で実物を調査したいのだがさすがに買いもしないものをじろじろ表裏調べ上げるのにははばかれる。

店員から声を掛けられまさか「調査のためです」などと答えることなど出来るほど大物ではないので、客として買うそぶりをかもしつつ、なんとなく買わずに帰っていくのもどうかと思い、そんな場面を想像すると販売店での調査活動は自粛した。

そんなことを考えつつ、写真を眺め2ヶ月ほどが経過した。





2019年5月15日水曜日

なんてことしてくれたんだ  言葉狩り

今日は書店と手芸店、資材卸売り専門店を訪ねた。

書店では雑誌の立ち読みはすれど、毎回ほぼ買うことはない。書店には悪いが金を出して所有したいと思える本が見当たらない。図書館で事足りてしまう。

手芸店でも買うことなく店を出た。買いたいものが見当たらない。

レザークラフトの資材卸売り専門店を冷やかした。レザークラフトを始めるつもりはないが、どのような品揃えなのか見てみたかったので立ち寄った。リベットも探した。

沢山の品揃えがあって、実店舗で手にとって眺めながら購入するかどうかを決めることができるというすばらしい店ではあったが、目当てのリベットは見当たらなかった。

やはりネット通販しかないのか。手にとって品定めしたいのだが仕方ない。
在庫を抱えた小売商売はジリ貧で、どんどん縮小の一途をたどっているみたいだ。

品揃え豊富な専門店を何も買わずに出たとき、店員さんから「どうもありがとうございました!」と気持ちよい挨拶の声がした。

何も買わない客にお礼を述べる店員(店・会社)と、買った客にだけ「ありがとうございました」と言う店員(店・会社)があって、だいたいが後者だと思っていたが、改めてさっきたずねて冷やかしただけの俺に対して御礼を述べる店員(店・会社)は改めて商売の原理原則の訓練を受けたのだと感じた。

古臭いおっさん世代以上の慣習のように思うが、このような態度、姿勢の店員がいる店、会社は訪れても気持ちがいい。今日はあいにく買わなかったが、いい店の印象が残り、この次再び訪れるきっかけになるし、もし欲しい品物を買ったときの充足感はネット通販の比ではなく充実するだろうと思ったりする。

買わなかった客にも御礼を述べる、たったそれだけなのに、それだけのことをしない店や店員がいるところではそれ以外のことについてのプレミア感が薄れてしまい、結果買わない。

前にも似たようなことを書いた。

自分の店の商品を買った客(俺)に対して、きちんと商品を包まない、(包まないし袋すら用意しない)店について書いた。

人手不足、非正規雇用、格差社会による労働者の質低下が一つの要因に思うが、これから先、令和になってもますますそんな雰囲気を加速するのだろう。むしろ小売サービスなどの質の低下は将来嘆かわしいものに進展していくのだろうが、今日の御礼を述べてくれた店にはすばらしい未来が待っている。

買わない客に御礼の言葉を述べるということについて、必要ないという考えも間違いではないし買わない客は客ではないという。

まあ、自分の店の商品が客に買ってもらえなかったという結果を受け止めるとき、店側は客ではなかったという結論に到達したということが言える。

買わなかった客に御礼を述べた店側の考えは、買わなくても店に来てくれたことの御礼、また来てくれたときに買ってもらえたら嬉しい的な御礼、お客さんの求めていたものを置いていなかったことを買わないという行動で教えてくれたことと受け留めたという御礼など、考えられる。そう考えると買わない客に御礼を述べるのはしたたかで謙虚、商売を考えている。

買わないので御礼を言われなくても当然と思うのだけれど、買わなかったのに御礼を言われて嫌な気はしない。むしろ次に行く機会があればあの店で買ってもいいと思える好印象が持続する。購買動機なんて単純な側面もあるのよ。

ミシンについても同様、売れない理由をマーケットのせいにしたり、いろんな理屈で売れないというよりも売る努力をしているのだろうかと思ったりもしないでもない・・・というと沢山の関係者を敵に回すことになるので、撤回します。

当然ミシンメーカー、販売店や営業の皆さんは血のにじむ思いで毎日がんばっているのでしょう。ミシンだけに限らず物が売れなくなった時代と言うことかしら。



「戦争で取り返すの賛成か反対か」と吠えた衆議院議員のウィキペディアを見たら、丸山穂高(まるやまなんてことしてくれたんだ)という読み仮名になっていて、荒らされていたようだ。面白かったので後で再び見たら、「この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です。」と編集のアクセス制限かかっていた。この人も発言撤回したけれど世間からボコボコにされてたな。

一連の報道を見ると、いわゆる言葉狩りというヤツなのかもしれないな。