2019年5月19日日曜日

ミシンを止めて黙祷    毒を吐く

交通ルールを守っても交通事故が起こり、死亡事故に至る。

池袋、滋賀の事故はいずれも交通ルールを守っていた罪ない人々が、守らないドライバーのせいでいたたまれない被害が生じた。速度超過や前方不注意の違反者が罪ない人の命を奪った。

以前からこのブログに書いてきたが、散歩中の街中で標識に従って一時停止している車を一度も見たことがない。大げさな表現と思われるが、事実だ。

一時停止は、少なくとも停止線前2メートルまでの間に完全に停止することと教習で習った。停止とは少なくとも2秒間は静止する。そして左右の安全確認後、安全であれば進むことが出来るのだが、この行程の一部どころか、すべて守れていない車が当たり前状態だ。奇跡的に守っている車を見ると、ドライバーは外国人なのではないかと錯覚することがある。

近くの交番に申し入れしに行った。
対応に当たってくれた警官は、親切な態度で「パトロールしときますっ!」と対応してくれたが、その後、停止線付近をパトロールしている様子はその後もない。

警官がこの街の安全、安心を守るのではないようで、交通ルールは守られず、街中交通事故のリスクはますます高まるばかりだ。歩くなら命を差し出すつもりの覚悟がいる。

池袋の高齢爺は「ブレーキを踏んだのにきかなかった」被害者は死んでしまったのにこの発言は信じがたい。少なくとも「ブレーキを踏んだとおもったが暴走してとめることが出来なかった」くらいの発言ならまだしも。

正しい運転技能があれば、暴走はしない。ブレーキはフットブレーキの他にエンジンブレーキとパーキングブレーキがある。フットブレーキを踏んで効かなければエンジン、パーキングのそれぞれのブレーキを駆使しないといけない。

つまり、そんな対処が出来ない爺はすでに運転する基本の運動・判断能力がない状態だったと報道から解釈できる。

まだ、滋賀の加害者の報道のように、「前を見ていなかった」と言う発言のほうが適切な事実を伝えているだろう。

池袋爺の方は報道内容は事実(正確)なのかどうか怪しいが、事実なら加害者の厳罰を求める世論は理解できる。「上級国民」はどうでもいいが、交通ルールを守れず、運動能力を自覚しない、運動能力のないドライバーにはそもそも運転資格がない。

交通ルールを取り締まれない警察と交通ルールを守れないドライバー、守られない交通ルール、無資格者には相当の問題がある。やはりスピードの出しすぎが大きな原因の一つであることに間違いないだろう。

車の仕組みを向上させて事故を防ぐ、事故が起こらない未来を待つしかないのか、それまでにルールと取り締まり対策、法改正で速い手を打つ必要がある。

亡くなられた方、ご遺族、その家族、友人、知人、親しい人に心から哀悼する。

残念ながら、悲しむべき事故の結果、本来なら生きるべき人の命が絶たれ、悲しむ人がまた増えた。

警察にお願い。

小さな、軽微な違反やマナー違反のレベルでの取り締まりの必要性をもう一度考え、対策を強化して事故の抑止、事故の防止と重大事故の撲滅のための積極的活動をして欲しい。たった今でも街中のあちこちで一時停止を無視されているし、悪質なあおり運転はどこにでも起きているだろう。死亡事故につながる危険運転は散歩している俺でも毎日毎日複数回見かける。



ミシンを止めて、


一路平安。



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