2019年5月15日水曜日

なんてことしてくれたんだ  言葉狩り

今日は書店と手芸店、資材卸売り専門店を訪ねた。

書店では雑誌の立ち読みはすれど、毎回ほぼ買うことはない。書店には悪いが金を出して所有したいと思える本が見当たらない。図書館で事足りてしまう。

手芸店でも買うことなく店を出た。買いたいものが見当たらない。

レザークラフトの資材卸売り専門店を冷やかした。レザークラフトを始めるつもりはないが、どのような品揃えなのか見てみたかったので立ち寄った。リベットも探した。

沢山の品揃えがあって、実店舗で手にとって眺めながら購入するかどうかを決めることができるというすばらしい店ではあったが、目当てのリベットは見当たらなかった。

やはりネット通販しかないのか。手にとって品定めしたいのだが仕方ない。
在庫を抱えた小売商売はジリ貧で、どんどん縮小の一途をたどっているみたいだ。

品揃え豊富な専門店を何も買わずに出たとき、店員さんから「どうもありがとうございました!」と気持ちよい挨拶の声がした。

何も買わない客にお礼を述べる店員(店・会社)と、買った客にだけ「ありがとうございました」と言う店員(店・会社)があって、だいたいが後者だと思っていたが、改めてさっきたずねて冷やかしただけの俺に対して御礼を述べる店員(店・会社)は改めて商売の原理原則の訓練を受けたのだと感じた。

古臭いおっさん世代以上の慣習のように思うが、このような態度、姿勢の店員がいる店、会社は訪れても気持ちがいい。今日はあいにく買わなかったが、いい店の印象が残り、この次再び訪れるきっかけになるし、もし欲しい品物を買ったときの充足感はネット通販の比ではなく充実するだろうと思ったりする。

買わなかった客にも御礼を述べる、たったそれだけなのに、それだけのことをしない店や店員がいるところではそれ以外のことについてのプレミア感が薄れてしまい、結果買わない。

前にも似たようなことを書いた。

自分の店の商品を買った客(俺)に対して、きちんと商品を包まない、(包まないし袋すら用意しない)店について書いた。

人手不足、非正規雇用、格差社会による労働者の質低下が一つの要因に思うが、これから先、令和になってもますますそんな雰囲気を加速するのだろう。むしろ小売サービスなどの質の低下は将来嘆かわしいものに進展していくのだろうが、今日の御礼を述べてくれた店にはすばらしい未来が待っている。

買わない客に御礼の言葉を述べるということについて、必要ないという考えも間違いではないし買わない客は客ではないという。

まあ、自分の店の商品が客に買ってもらえなかったという結果を受け止めるとき、店側は客ではなかったという結論に到達したということが言える。

買わなかった客に御礼を述べた店側の考えは、買わなくても店に来てくれたことの御礼、また来てくれたときに買ってもらえたら嬉しい的な御礼、お客さんの求めていたものを置いていなかったことを買わないという行動で教えてくれたことと受け留めたという御礼など、考えられる。そう考えると買わない客に御礼を述べるのはしたたかで謙虚、商売を考えている。

買わないので御礼を言われなくても当然と思うのだけれど、買わなかったのに御礼を言われて嫌な気はしない。むしろ次に行く機会があればあの店で買ってもいいと思える好印象が持続する。購買動機なんて単純な側面もあるのよ。

ミシンについても同様、売れない理由をマーケットのせいにしたり、いろんな理屈で売れないというよりも売る努力をしているのだろうかと思ったりもしないでもない・・・というと沢山の関係者を敵に回すことになるので、撤回します。

当然ミシンメーカー、販売店や営業の皆さんは血のにじむ思いで毎日がんばっているのでしょう。ミシンだけに限らず物が売れなくなった時代と言うことかしら。



「戦争で取り返すの賛成か反対か」と吠えた衆議院議員のウィキペディアを見たら、丸山穂高(まるやまなんてことしてくれたんだ)という読み仮名になっていて、荒らされていたようだ。面白かったので後で再び見たら、「この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です。」と編集のアクセス制限かかっていた。この人も発言撤回したけれど世間からボコボコにされてたな。

一連の報道を見ると、いわゆる言葉狩りというヤツなのかもしれないな。



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