2019年12月3日火曜日

Gジャン 1Stモデル制作 失敗と高付加価値と平日画家

ジージャン1stモデルのための試作2号機だ。

試作初号機の失敗を省みて胸囲、袖の開き、全体のバランスを考えて各所をサイズUPした型紙を作った。これを再びシーチング生地に写して2号機の制作に入った。小さな失敗はいつもながらにあったが、すばらしい修正力を持ってして試作2号機の完成を見た。

何が完成か、成功したかどうかについては俺自身の内的な問題である。
今回のGジャン制作にあたって、自己流のミシン縫製による個人的創作現場の独白だろうと思ってくれ。

失敗箇所は写真で見ての通り。(見たところで写真が小さいのでよくわからない)




完成を目指してこれまでやったことない「試作」という工程を取り入れた。いままでジーパンはぶっつけ本番で作っていたので出来上がると丁度良いいサイズが、洗うと縮むので予想外に縮んだのには面食らったこともある。そんなことも考えず、ご機嫌さんでせっせと作ってみてはいて洗って縮んでしまう。

当たり前といえばそうなのだが、生地の個体差もあるしそもそも防縮加工などしていないだろうし、いわゆる生デニムなので縮むは当たり前なのだ。

縮みを調べるためのテストをするほど生地の余分がない。余分に買えばいいのだが余分の生地代をついケチってしまう。根本的な問題であり、職業ではない創作の世界と言えば聞こえはいいがただのケチなのだ。いや、ここは始末していると言い換えておこう。



試作なのでカフス、ベルト布は縫わない。ボタン、ボタンホールも作らない。あくまでも全体のバランスとサイズ感を知るためだ。一部ステッチと袖の開きの仕様を確認する必要があったので試作しながらテストしたりもした。

袖を通してみた。

おおおおっ、サイズ感はいい。この補正したパターンでおおむね本制作にとりかかっていいだろう。

ただ出来上がった2号機を見て、反省点として抽出した課題が以下の通り。

①折り伏せ縫いの重なりの厚みが難しい。特に袖付けのカーブなどが多い部分。
②今回もいくつかの箇所でセルビッジ(耳)を使う。そこには折り返ししない。
③後ろ見ごろの切り替え部について、いわゆる1Stモデルは一枚布で仕上がっている写真をいくつか見たが、今回使用するパターンは1Stモデルと言いつつ、切り替えされている。パターン屋さんのオリジナル1stモデルといったところだろう。本作はもう少しビンテージ1Stモデルに寄せるよう一枚布仕様にするべきか思案中。
④市販パターンをサイズUPしたことによるポケット位置の適正配置が必要である。
⑤後ろ見ごろのプリーツ(ダーツというのか)部分の仕様ももう少し何とかしたい。

プラスアルファ、ほかにも挙げる事柄はあるが、仕上がり発表を予定しているのでその時に書こうと思う。



セルビッジにも色んな色があるようだ。今回予定している生地。


今回掲載した写真は最近買ったスマホのカメラ、ファーウェイP30liteで撮影した。広角レンズ、画角がワイドなのがいいと思う。

中華スマホだが、高性能で文句なしのスマホだ。なんでも中華製を品質の低い代名詞になっていた時代だったことを思うと、もう時代はとっくに中華製万歳の状態で、世界基準の目で見ると日本産を謳う営業スタイルはぼやぼやしているうちに笑われてしまっているのではないだろうか。

高性能、高機能、高価格帯の良い製品だけがちやほやされるのではなく、ほどほどの性能や機能でも安くて買いやすい、ハードルの低いものが世界的には評価されている一面がある。

日本製、Made in JAPANなどとアピールしているが冷ややかに見ている購買層もいるかもしれない。価格が高い=自分にとって必要な品質、機能ではなく、低価格=必要最小限の機能で満足という懐にやさしい考え方を抱くひともいるのかもしれない。

高性能や高機能を否定するつもりはないが、だれもがすべてそんなものを必要とする世界もおかしいと気付くべきで、極論かもしれないが世界の富の半分は観光バス1台か2台程度の乗客数が占めているという。残りの富、半分を世界の人々でわけわけしている。この現実を考えたとき、果たして富を独占することほど残念なことはないのではないかと思うが、独占した側の立場にも気持ちにも近づくことがないので想像でしかない。

いままで色んな人の死に目には立ち会う機会があった。思うところ誰しも金を抱きかかえて死んでいく者はなかった。さすがに観光バスに乗った人の最後は知らない。見ていない。どうすんだろうか。

彼ら、富を持つ者たちは高性能、高機能だらけの余生を暮らしているのだろうか。

俺はGジャンを作る。いろんな過程で失敗するしその分のコストや手間もかかる。うまくできる保証はない。(誰に保証するわけでもないが)素人という言い訳で遊んでいる。遊び・素人と言いながら程よく素人ではないという自負もどこかにあり、素人ではないけれどプロでもない。独自の「作品」を作っている。いわゆる「商品」ではない。この違いは明らかに別物だ。

「日曜画家」と半ば揶揄される表現もあるが、例に倣い差し詰め「日曜何ちゃら」だろうか。職業画家が日曜画家より優れた能力があるのかはさておき、覚悟を持っているかどうかの微妙な違いを感じるこという事実は否定できない。

生計が関与する職業画家の方がどことなく媚びている。だからだめだということでなく、生きるための知恵を持ち合わせた処世術を高めているのだと思う。この点において、素人とは違う、所以があるのだろうと思う。平日画家とでも言おうか。

趣味とは違う、ホビーというのに近いのかも知れない。

おわり





















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