2019年12月12日木曜日

神戸の先生へ  大好物は辛いカレー

いじめの考察

先日、神戸のセンセのにいじめに関する持論を書いた。

前回も書いたが、「いじめられるやつにも落ち度や原因がある」という意見には賛成できないと言うスタンスに対して勘違いしているヤツがいるかもしれない。それこそ文句あったらかかってこい。正当な意見なら聞いてやってもいいが、どうせいじめる側の正当な理由などない。例外があれば知りたい。


私はどんなことがあってもいじめられる人の味方である。

だが、いけないのはいじめられたからといじめ返すことはいけない。いじめを受けたのだから、いじめはいけないと主張しないといけないのに、自分をいじめた相手にいじめの仕返し、これはやってはいけない。

もし、やり返してやりたい、いつか見返してやりたいという思いがあるなら、歯を食いしばってでも努力して笑われない大人になろう。いじめたやつ以上の幸せや喜び、栄冠を勝ち取ろう。

そして、いつの日か恵まれない人々にこれでもかというほどの幸せをおすそ分けする。そんな幸せな未来を思い描いてひたむきに生きる。

これが、いじめたやつに対する正当な対抗姿勢である。

いじめたやつはしょうもない人生を歩んでいる。いつもぬかるんだ道、水たまりがあって、歩きにくい。いじめている常習者はそんな世界が普通と思い込み、生きている。ゆがんだ、どうしようもなく貧しく不幸なヤツでそんな世界から抜け出せずにいる。残念なヤツと思えなくもないが、そうそう許してはいけない。どこまでも勘違いの思考を巡らせているのだろうと笑い飛ばそうではないか。

見て見ぬふりしてた神戸の先生に告ぐ。

自分のとった行動(見て見ぬふり)がいかに社会に悪であるのかをよくよく考えなおし、正直に公表してこれからの人生をどうして生きていくのか、教師として示していくことの十字架を背負う覚悟と決意を改めて考え、その考えを実行するために世間に発表しなさい。

俺は、これからもいじめの情報を見たらこのようなブログ発信をし続ける。多分、世の中のいじめは簡単にはなくならないだろうが、ニュースを見たり、思いついたとき、このような内容のブログを書く。いじめているヤツが読むと気分が悪いかもしれない、しかし、現在もいじめられている人は気分が悪いどころではない。何の落ち度もない彼らがいじめにあい、苦しい思いを持ち続けている以上、やめるつもりはない。

いじめるな。



最後に、

俺は世界中の辛いカレーを食べてきた。常識を超えた辛さを知っているし、大好物だ。いつでもかかってこい。

おわり











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