2019年9月15日日曜日

いつものようにめんどくさいことを考える

うまい、安い、早い・・・・安い、早いを求めるがためにちょっと大げさに言うと「本当のうまさ」を知らずに人生を送るという残念な事実に他ならない。

ポケットのオリジナルステッチは波をモチーフにしたもので曲線をうまくステッチで描くのが難関の一つ。

全体のステッチは多少の歪みは気にしない。段付き押さえで左右の幅から何ミリなどきちんと仕上がるアタッチメントを使えばそれなりに見えたりもするが、多用するとなんか、味がないような冷たい感じ、いかにも工業製品を目指しています!という物足りなさがあって、歪んだステッチが実は良いのではないだろうかと、思い切って普通押さえで縫ったりもする。

「味」などと言い表したけれど、足踏みミシンの縫い目が「味」というにはいささか適当ではない気もするが、かといってほかに適当な表現が見つからない。写真は面倒なので掲載しない。違いを表現するのに写真で比較してもらうこともいいのだが、最近はもっぱら言論がマイブームなのだ。

縫い目の長さは基本で言うところ、3センチ間計測で9針前後を標準に、そのつど生地や感覚で微調整したりする。決まりはないし、好きにすればいい。

ステッチだけでなく他にも、前あき、ベルトなどところによってコツがあるのと、ミシンの性能と生地の特性の違いも同じではないので作るうえでいろいろな手法や目指している仕上がりのイメージを表現するための終着駅は存在しない。

たったジーンズ一本作るのにもこんなにいろんな方法、ミシン機材、副資材などを含めると限りなく無限大で、自分の手作り一発勝負だから同じものは二つと存在しない。

大量生産することもなし、どこまで行っても潔く自由で完全オリジナル一点ものジーンズである。普通、このようにオリジナル一点ものジーンズが欲しいときは、専門テーラーにオーダーメイドを依頼するわけで、プロにお願いすると当然のクオリティで仕上がるだろうし、いわば製品になり、れっきとした品質保証も受けることが可能だろう。

で、俺の場合は素人ながら自分のために作るので手間隙、コストを考えすぎることもなく、好きなように出来る。問題は何事も限界があるので、自由、好きなようにといっても肝心な裁縫技能はそれなり、資材は市販されたものを使うことから、表現範囲は無限ではないし(ましてや生地自体をオーダーするわけでもない)、リベットや糸も流通する市販品を使うので大手ブランドのようなボタン・リベットの刻印などは出来ない。(ボタンの金型をつくるだけで数十万すると聞いて撃沈した)

完成度の決して高くはない俺の自作ジーンズだが、完成度を上げるための努力を放棄したわけではない。

そんな中、個人製作の手作りをアピールする上で、どんなこだわりをこめているのかと言うと、いくつかある。

オリジナル革パッチのための真鍮原版焼印を自作した。
コイツは自己満足の到達点として一線を越えたと思っている。しかもデザインはすばらしい。つくづく俺はゲイジュツカだ。(自己満足・自己陶酔は病的だ)

メインマシンは、職業用足踏みミシン戦後ビンテージ時期のもの、今では希少な部類に入るだろう。整備調整も喜んで自分で行う、いつでもスクランブル発進できるよう完全整備され、ぴかぴかに磨かれ万全の体制で待機している。

ただ、足踏みで古いから性能が高い、低いとかいうものではなく、手作業、電気を使わない人力、大量生産にはないテーラーメイドを目指し、あくまでジーンズ一本を完成するための自己管理できる範囲のミシン環境である。大げさに言うと、ここに俺の哲学の真骨頂があると思いたい。

素人手作りゆえの出来栄え残念感を極力排除するためにこのような機材と製作哲学に基づいたジーンズを作るように心がけ、自分だけのヨロコビのためだけに非生産的行動を送っている。

世間には低価格のものから高級品に至るありとあらゆる要望や経済事情などを鑑みた商品があふれている。ジーンズだってそうで、ユニクロなら2980円からあるし、古着などを探せばサイズを限定しなければ数百円で見つけることも出来る。メジャーブランドなら1万円しない価格帯からあるし、人気ブランドになると数万円のものも少なくない。特殊な場合はそれこそテーラーメイド(時価)だろう。いろんな価格帯の選択肢があって、それぞれのフトコロ事情に合わせたショッピングが出来る。

自分でジーンズを作るということはこれらのマーケットから離脱した行為であって、既製品が当たり前、そんな世間に小石を投じたいのだろうと思う。あ~めんどくさい。

自己陶酔型、病理的自己満足と自慢大会で今日も無事終わる。

















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