2019年9月3日火曜日

最高の普通  本当の価値  グランドセイコー

「最高の普通」

当時、この一言でイチコロに落ちた。

若気の至りで物欲に負け、買った。

今でも一番の相棒である。


16、7年ほどになるが、何度目かのオーバーホールにもいまだ機嫌よく、故障など一切ない。

腕時計である。

だいたい、時計を所有するヨロコビは人に見せびらかして「どうだ、参っただろう俺の時計、きらきらしてるだろぉ」というようなヤツが時々いる。アフォな風景を思い描いて欲しい。バブル期にみられた光景だった。

客観的・冷静になると恥ずかしい極地であるが、当時の俺は典型的なそんなヤツであった。いきがって、カッコついてないのにかっこつけていた(つもりになっていた)のだ。思い出しても恥ずかしぃっ。


だいたい、物欲にまみれたヤツの見せびらかしほどみっともないものはない、とつくづく思う。今までのそんな醜態を思い出すと恥ずかしいことこの上ない。金さえ払えば誰だってどんな高価な時計も買える。俺には身分不相応な時計だった。

そう感じ始めた一時期、こんな恥ずかしい時計、誰か、弟などにでもくれてやったら良いんじゃないかと思ったりもしながら、しばらく使わずにしまっていた。



お客様相談室の島田さん、依頼したオーバーホール完了後の留守番電話のメッセージの声音が今でも記憶の片隅にある。

留守番メッセージに残されたスマートな話しぶり、無駄のない事務的な用件だけではない知的でエレガントな言葉遣い、それらを含んだ表現力は今でも忘れることが出来ない。

時計修理の一窓口スタッフの方のさりげない一流の対応が、不思議とこの時計を買って良かったと思わせてくれた瞬間だった。

その人の一瞬はつくづく「最高の普通」と言う表現にふさわしい所作だった。



金さえあれば、高級時計の一本や二本、買って所有することは誰だって出来るし、無理してでも背伸びしていい時計を買うこと自体、悪いことじゃない。がんばって買った少し高い時計を見せびらかしたっていい。それが、仕事を一生懸命がんばる原動力になったり、女の子にもてたいという一心でもいい、誰だってそう言う目標物があるといい。

例外に漏れず、俺はそんなヤツで、不相応な時計を所有したがために、その時計の持つ実力をあとから教えられた。そして、いかに自分がその時計にふさわしい男でないかをつくづく思い知らされた。そういう意味では、買ってよかったと思う。

この時計を買って、腕に巻き、その価値にふさわしい、笑われることないくらいの男になれただろうか。

その価値は、年数が経つにつれ高まってきているような、もしかするといつまでも背中を追い続けているのではないかと思うときがある。

その時が来たら、この時計は譲ろうと思う。

・・・まだ精進だなぁ。










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