沖縄の小橋川清正さんという陶工の器を買ったのはもう30年近く前のこと。5年ほど前、久しぶりに再訪したら息子さんもあとを継いでいるようで、息子さんのも買った。
確か、珊瑚屑が土に練りこまれているという独特のざらつき感がある、味わい深い良いやちむんである。当時はまだ何とか私の手の届く価格帯で販売されていたと思うが、最近は評価が高まるのと比例しているようだ。
伊万里焼にも何がしかの親近感があって、気にとめたりもしたがコレクションはしていない。信楽焼き、備前焼なども好んでいるのだが、買い集めるほどのことでもなく日常使いの焼き物として何点か所有して好んで使っている。たぶんのめりこむと沼にはまること間違いなしだ。
最近、近所でレトロなものを扱う小さな雑貨店を見つけた。
訪れると、軒先の展示品に吸い寄せられ店内を覗いたりもする。
この店、実は半年ほど前、レトロなコーヒーカップとソーサがあったので買おうかどうしようか迷った。そのときは買わずに帰った。
ワールドカップサッカー侍ジャパンではないが、決めきれない。
またまた(結局、合計3回目)訪れたときはもうすでに売れたようだった。
しかし、割れた洋皿の代わりを探してもいたのでノリタケらしきデザインの皿を見つけた。手に取って見るとやはりいい皿のよう。
店のご婦人に声を掛けた。ご婦人はとても品ある口調で説明してくれた。年配だが美しい女性だ。
聞くとやはりノリタケらしい。裏印にあるマーク、良く見るとノリタケとある。自分は以前にもこの店で器を買わせてもらったことなどを話したり、この店では好んで同時代の器を取り扱っていることなどを伺った。
中古も扱うらしいが、今回俺が手にしたノリタケは傷のない新品、いわゆるデッドストックだったようで確かにつややかな釉薬加減だ。
デザインについては好みが分かれるだろうが、戦後ビンテージといわれる時代、1945年ごろから1965年くらいの間のもの。この時代を眺めるとある一定の傾向のようなものもあって、今の皿には見かけることがないようなデザインを見つけると嬉しい。専門家の表現を借りるとレトロモダンだそう。
持ち帰って調べたら、1955年とか、1963年あたりのものであるということのようだった。50年以上の歳月をかけて、いまだに新品の状態、しかしデザインは今には見ない。ある意味タイムスリップした世界を見ることが出来る。
今市場に出回っているビンテージ物はもうすでに製造されておらず、逃すと同じものを見つけることは難しい。ネットで似たデザインは見ることもあるが、いいと思ったときに買うべきなのかもしれないとも思った。
新しい物も悪くないが、出来立て感満載のピカピカしたものはちょっとまぶしくてしんどくなるときがある。本などもそうで、書店のピカピカした本がしんどい、と開高さんも書いてたな。20代にそんな文章を読んで、意味がわからなかったがおっさんになるにつれ開高さんの表現がじみじみ通感するようになった。
ただ、「アンティーク」となると若干ニュアンスが異なる。
アンティークは多くの人達が評価したりしてある一定の「相場価格」のようなものがある。singerミシンのように、ヤフーオークションでも足踏みミシンを見ると他のメーカーに比べて高価なことが多い。
アンティークはただ高価だという印象で敷居を高くした世界でしかないので日常使いのものとしては桁違いで自分にはふさわしくないだろうと自戒をこめて思う。
アンティークまでは行かないけれど、ちょっと背伸びして、レトロ、ビンテージくらいがデザイン・価格もちょうどいい。
戦後の同時代、所有する俺のミシン、singerとjanomeは2台とも当時物で足踏みミシンだがビンテージ以上、アンティーク未満と言ったところだろうか。昭和30年から40年ごろのあたりの製造である。このころは「もう戦後じゃない!」とか言っていたそうな。
陶器もミシンもせっせと作って、世界に輸出したりした時代だ。いかにいい製品を作るか先人は必死に苦労と研究を重ねたのだろうと思う。そして事実、世界制覇を果たしたと思うし、その先人のおかげでいろいろ楽させてもらっているように思う。
今活躍している世代の人々があとに続く人にそんな風に思っていってもらえる時代が来るのかどうか、いや、きっと賞賛の嵐の未来があると思いたい。
ただただ先人に頭をたれる。
おわり
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