2018年7月9日月曜日

技術と技能

手直しした帽子をかぶり町をぶらついた。

すれ違う人は誰も俺の姿、帽子など気に留めないしとめるはずもない。

帽子はまるで一見売り物のような出来栄えなのでまさか自作の帽子をかぶっているなんて思わないだろうし、おっさんの歩いている姿などだれも気に留めない。

そして、今日は自分で作ったジーンズをはいて、自分で作った帽子とカバン、その中にはまたまた自分で作った財布を忍ばせている。

こんなオリジナルな服を、上から下まですべてとは言わないけれど、俺率60パーセントくらいだ。

人生短いかもしれないので、残りを楽しむべく過ごしている。
いちゃもんをつけてくるやつもいないし、自分で好きに生きている。

前にも書いたが、器用すぎて人からうらやましがられるのがつらい。エスカレートしている人はねたんでくる。頼むから、勝手にねたまないでくれ。いや、勝手にどう思おうと勝手だ。思想信条の自由、言論の自由があるのだ。

隣の芝は青く見えるのだよ。

たとえば、何か失敗した話や、ざま見ろ的な話を喜んでいるような人っているでしょう。人の不幸を見るのがストレス解消!みたいな。

それ、根暗な日本人に多い特徴だと思う。根暗な日本人は、民俗学的に証明されている。
こんなことをほざくと、噛み付いてくる人、いるでしょう。そんな人のことである。

おっさんになると、そんな外野は気にならなくなるのだよ。気にするおっさんもいるだろうが、私は気にならないし、気にしたところで仕方ないと思っている。

いま、改めておっさんになるということを考えたとき、潔さや誠実、嘘をつかない、交通ルールを守る、そしてミシンを操り整備調整する。こんなおっさんが出来上がった。

家ではちゃんと飯も炊く、おかずだって二日と同じものはない。最低品数は一汁三菜プラスぬか漬けだ。フレンチやイタリアン、中華、洋食、和食、アジアエスニック、一通りできるし、店で食べるクオリティよりもうまいと証言する、嘘はない。(と思う)味覚音痴のやからにはわからないだろうから、余地を残しておく必要があるということを付け加える。

知人が簡単にできておいしいレシピを教えて欲しいと要求してきた。
教えたのはレシピであり作り方のヒントではない。

後日知人は、「教えてもらったとおりの料理を作って食べたがおいしくなかった」と
言った。

そもそも料理は簡単ではない。
そして簡単なおいしいレシピだけでおいしく作ることは簡単ではない。
だから、あなたにはできないのだよ、と言ってやった。

キッチンで横で見ているのにまったく同じ料理を作ることほど難しいことはない。
料理だけでなく、仕事を隣で見ていて自分にもまねすればできるなどと安易に考えている人はおろかだ。残念だが、技能とはそんなものだ。わかる人にはわかる。わからない人にはわからない。仕方がない。






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