2018年7月24日火曜日

ペット Pet

私は犬猫大好きだ。

いわゆるペットとしての人との関わりは大変歴史があるし、家族同然の関わりであると思う。個人的には飼ってはいないが、広いおおらかな気持ちでいつも犬猫に接している。

どのくらい好きかと問われると、「ワンちゃん、ネコちゃん」などとちゃん付けして呼ぶことは絶対にない。ペットとの関係はあくまで人間が主である。だからちゃん付けなど一切しない。

しかし個人的には大変好きである。なでなでしたり、地面に転がりながら犬やネコとじゃれあうことなどいつでもどこでもできると思うくらいだ。

飼い主やペットは人によっては、動物嫌いとか、アレルギーがあるなどで拒否されることも当然あるだろう。しかし、私はそんなことはないが、飼い主にはアレルギー反応が起こるときがある。

それはマナーの悪い飼い主だ。

こいつは社会のごみといっても差し支えないだろう。散歩途中、糞の始末をせずに知らぬ顔でとおりすぎるやつや始末をしているふりをするやつ、人の家の付近かまわず糞をさせて散歩するやつなどだ。

もっとある。狂犬病の予防注射と登録届けしていないやつ。

動物を飼うからには相当の責任があること、果たさなければならないことを覚悟して飼うことだ。

つまりは、人々が豊かな社会で暮らすこと、高度な文化文明で生きてゆくこと、それらを振興することも大切なことだ。だからペットを飼うことや愛玩することが豊かな暮らしを社会で実現しようということなのだ。

社会主義国でとりわけ貧しいといわれている国などペットを飼う習慣どころか、食料源になっているのとはわけが違う。いかに暮らし豊かに健やかに過ごすことをその地域社会が実現できるか、大金を支払えばなんでも手に入れることができるという安易な資本主義経済とは違う、心のゆとりとよりどころなのだ。

ペットを飼い、より良い暮らしを実現できている先進国の名を見るだけで社会水準の何たるかがわかるはずだ。

人はいかにペットと共生する社会を作り上げるか、どのようにペットと暮らす社会であるかは個人飼い主の振る舞い一つにかかわっていることを肝に命じて欲しいものだ。

もう30年前、中国内陸部を旅行しているとき、飼っているサルにしょうもない芸をさせ、見物した通行人に5毛を寄こせとすごんでいたチンピラがいた。

日本人のペット愛好家と中国サルチンピラとはまったく別物だと思いたい。

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