2018年7月6日金曜日

韓国旅行 28年前のはなし

過去2回、韓国旅行をした。

もう、古い記憶なのでおぼろげながら時々韓国のことを思い出す。
初めて韓国を訪れたのは28年前。ソウルオリンピックの後の上昇景気を漂わせた時期だった。主にソウルと釜山を訪れた。

ソウルは、ミョンドン、イテウェオン、あと高麗青磁の工房をいくつか訪ねた記憶がある。釜山は市場を歩いたり、地下鉄で移動できる程度の周辺を散策した。

観光で訪れた町や触れ合った人々の思い出が印象深い。同じアジアで、民族的な地理も近く、見た目も似ていて歴史的にも近い関係を実感する。(中国人、韓国人、日本人と並ぶと中国人はそれとわかるが韓国人、日本人はわからないときがある。絶対ではないし、違いはあるがかなり近い印象だ)

当時の印象だが、訪れてみて人々のやさしさを身にしみて感じた。何と言うんだろうか、日本人とは違う、懐の深い、そしてすれていない、純朴な印象だ。表面的な面だけを見たのかもしれないが、その表面だけでも日本人にはない、すばらしいよさがあった。

東大門市場のビビンパの屋台では子供のころ山口県に住んでいたというお店のオバちゃんが日本語で気さくに呼び込んでくれてビビンパを注文して食べた。

会計のとき、最初日本語で言っていた価格とは違い、韓国語でなにやら指差ししている価格表を見せられ3倍の価格を吹っかけられ、日本語で反論したがそれまで流暢に日本語をはなしていたのに一転して日本語を話さなくなり、オバちゃんとの交渉はこれ以上無理だと降参し、しぶしぶその言い値を支払った苦い経験がある。

若いときの出来事だから今では笑い話だが、当時はその日の飯代も切り詰めての旅行だったので嫌な思いをした。もしかしたらオバちゃんは日本で嫌な思いを経験したのかその腹いせだったのかもしれない。

だが、嫌な思い出だけではなく日本では経験できないだろう嬉しい出会いもいくつかあった。

フェリーで出会った青年たちは日本旅行の帰途だという。一人日本語を話す青年が通訳となり青年グループとひと時を過ごした。

釜山に到着してからセマウル号でソウルに行くのだといっていたら、釜山港から一緒に釜山駅まで連れて行ってくれタクシー代は受け取ろうとしない。

韓国語もできないし、タクシーなど乗ることもできない私を慮っての配慮だったと思う。そしてタクシー代も受け取ろうとしない。よほど金を持っていないとかもしていたのかもしれない。

こんなときの対応どうしていいのかはわからなかったが、若かったのでお言葉と対応に感謝し、駅で別れた。

ささやかながら、その時の感謝の気持ちをこめてこのブログに記しておきたいと思った。

一度訪れると、日本に帰ってもその国のことが気になったし、関係した食品や品物、文化などをそれまで以上に興味や注目するきっかけになったと思う。

いま、日本では韓国の悪口を誘導するようなニュースや露骨に否定するユーチューブなど一部の偏った意見を目にするが、決して断定的な情報の印象に影響されないように気をつけている。韓国に対するものだけでなく、中国もそうだが。

韓国人の訪日旅行者は増えているという。嬉しい反面、日本人は逆で以前より韓国を旅行する人は減っているみたい。ちょっと残念だ。国と国でハナシをするとギクシャクすることもあるだろうが、民間レベルでは決してそうではない。お互いを思いやる気持ちは国は違っても人々の気持ちは根底はつながっている。

そんな思いもあって、近所で韓国釜山籍のオバちゃんが経営する食材店で時々キムチを買う。


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