2019年3月16日土曜日

絶滅危惧ミシン  精神修養

足踏みミシンはミシン台と一体のサイズ感が大きいし、家具と考えると最近のマンションなど限られた生活空間にミシンはふさわしくないと思われている。ポータブルタイプが主流になるのも頷ける。

大きいし、古い、整備していない場合は油で汚れ、時にはその油が固まっていたり埃が積もってフエルト状になったりもする。

そして使われずに邪魔者扱いを受け、最後は処分されてしまう。

自動車、腕時計、自転車、ミシン、機械物で普及した庶民が使うこれらのものの中で50年、100年使い続けることが容易にできるものといえば、唯一「ミシン」である。

最近見つけたブログで昭和遺産とか、家庭遺産、などと表現している方のHPを読んで妙に合点がいった。

先日も書いたが、手芸店のミシンパーツの販売コーナーの片隅に今でも家庭用・職業用足踏みミシンの革ベルトなどは販売されている。

現役で足踏みミシンを使う方が沢山いるのだろうと思う。

足踏みミシンしか使ったことのない人にすれば、コンピュータミシンは使い方がわからないし、使えない。

逆にコンピュータミシンしかしらない人は足踏みミシンなんて使えない。使える環境がないし、使いにくいという先入観もあるかもしれない。

足踏みミシンは、部品もメーカーが違っても共通規格が多く採用されていて流用できたり、使い続けることができる条件がそうさせているともいえる。

たしか、今の製造されたミシンなど、製造打ち切り後の部品保有は7、8年ほどで終わるためそれ以上の古いミシンは基本的に修理を断られる。

代用品で対応する場合や中古ミシンのパーツを流用することで古くても修理はしてくれるところもあるにはあるが、部品取りの中古が早々入手できないこともあるだろうから至難だ。

今のメーカーはメーカー規格だけでなく、ミシンの機種別の規格もある場合があって、押え金すら同じメーカーでも使えない場合なんかもあって流用性が乏しく、ミシンが普及しない要因をミシンメーカー自ら作り出している。(今のメーカーは積極的にミシンを普及させようとはしていないのではないかと思う)

ジャノメ史を読んだとき、昭和初期の当時の産業として統一規格を用いることでいろんなメーカーや部品製造の下請け会社までミシン景気が上向いていた。また、統一規格は世界戦略として強敵海外メーカーにオールジャパンで対抗するためでもあったそうな。

現在、すでに世界制覇を果たした国内メーカーは向かうところ敵なし状態であって、強いて言えば、敵は国内にいるのかもしれない。どこの会社でも仲間内で足を引っ張り合うのはそんな要因があるのだろうと考えてしまう。

俺の足踏みミシンはたとえ毎日酷使しても多少の手入れをし続ければ優にあと50年は故障しないような雰囲気をかもしている。たぶん、当時物の足踏みミシンには普通にそんなポテンシャルがあると思う。

ただ、今後ミシンメーカーが足踏みミシンの新型機種を開発するようなことはないし、現存する足踏みミシンは次第に消えてゆく運命にある。(まあ、そのころにはすでに俺も消えているが)


でも、足踏みミシンは生き残って形見として引き継がれ、大切に使われたりもしていることもあるようで、このようなミシンが存在しているのを聞き、知って少し嬉しい気もする。

ミシンもそうだが、元の持ち主もあの世できっと喜んでいるはずだ。

縫い進める音やリズム、機械なのに温もりを感じたりもする。引き継がれたミシンが前の持ち主を偲ぶ役割を果たしているような感覚を思う。

足踏みミシンの世界を体験して感じた限り、コンピュータの制御装置によらない、自分の手足の感覚だけで縫い進める機械、操作感や縫いあがり、そのアナログな手ごたえが感触いい。

手縫い、家庭用ミシン、工業用ミシンなどそれぞれの性質が違うみたいなので、何が一番というのではないが、足踏みミシンには足踏みミシンの世界観があるような気がしないでもない。

どんどん技術革新と新しい世界を切り開こうとしているミシンメーカーには最上級の敬意を払いつつ、足踏みミシンユーザーは自分の足踏みミシンを後世に引き継いで欲しいと思っているのは俺だけではないのではないかと思う。

問題は、足踏みミシンを使うにあたって、備える場所が必要なことと使い勝手が一癖あるところに敬遠されてしまう要因があると思う。

いかに足踏みミシンを有効活用するか、使い慣れることやその扱い方に工夫があれば生き残る方法はあると思う。

良くあるのはディスプレイとして店の飾りにおいているなども方法だろう。だが、実際に使ってもらってその価値は発揮すると思うのでやはり使い慣れることがいいのだろうと思う。いくら使いやすくなったという最新ミシンでも使い慣れることに多少の暇が必要なので、足踏みミシンも頭柔らかく考えると結局同じことなんだけどね。

むしろ、足踏みミシンの原理や構造、ボビンケースの糸調子なんかを会得したら最新ミシンの扱いにそう手間取ることなく使える応用性があるといえる。

もし、縁があって足踏みミシンを形見として譲り受けるような時が来たら、古くて大きくて場所取るからと廃棄処分を検討する前にほんの少し思いとどまってみて欲しい。あなたが今、そのミシンを処分してしまうと足踏み式ミシンの絶対数が減ることになる。



デメリット

①ミシンと台、セットで保管するための場所が必要。最新家庭用ミシンなどポータブルサイズに比べて大きいこと。作業場所を選べない。持ち運びに不向き。持ち運び出来ない。

②縫い基線は直線のみまたは直線とジグザグ程度のため一見地味。

③垂直釜でボビンケースと糸調子に多少の慣れが必要。覚えたら箸と茶碗を持つ位に簡単。

④古くて重く、汚い。故障?している。どうやって動かすのか、縫うのかわからない。→最初は誰でも同じ。自転車や自動車を乗りこなすことが出来たら、違う自転車や自動車にもすぐに適応できるのと同じで、ミシンも機種やメーカーが多少違っても理屈は同じ。

これらデメリットをクリアすれば、ちょっとした調整程度で再び使えるようになる場合が多いことがある。もし、修理が必要な場合でもその修理にかかる費用によるがその後の保全性が高く、末永く使えることがあり、修理費をかけるだけの恩恵を受けることができる。

さらにもっと良いメリットをお伝えしたい。
何でも便利になった世の中、マニュアル車はオートマチックに変わり、クラッチ操作がなくなった分、快適ドライブが誰でも簡単に実現できるようになった。しかし、クラッチ操作を知って、使うとどんなにも豊かなカーライフを送ることができるのと同じ、足踏みミシンにもそれに近い要素がある。

それは
①より縫い物の原理が理解できるようになり、2台目からのミシンにコンピュータミシンを選んだとしてもそのコンピュータミシンをいたわりながら使うことができ、結果的にミシンを大切にすることで長く使い続けることができる。

②コンピュータミシンは部品保有期間が過ぎると修理困難な場合があるが、足踏みミシンは金属部品が多いので故障率は低く、共通規格の補給部品は現在でも流通している。

③レトロ、アンティークといわれるような古くても今のデザインにはなくなった味のある要素が沢山あり、室内においているだけでも存在感ははんぱない。

④前の持ち主を偲ぶことで前の持ち主を立てることになり喜ばれ、縦横のラインを大切にする人感を印象付ける(かもしれない)

⑤サイズが大きいため、設置場所を確保することで縫い物をする心構えができ、精神修養の機会になる。怪しい占い、宗教に惑わされることがなくなる。

とまあ、⑤番まで挙げてみた。他にもまだあるが、今日はここまででおしまい。




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