2018年5月22日火曜日

募集

自転車を粗大ごみに出し、きれいさっぱりした。

所有しているものをひとつ失ったが、すこし爽快感があった。

手先が器用なのはいいが、家の中は工具などの道具類や物であふれ、最近はミシンに関連する小物も増えて部屋は散らかることはあっても片付かない。

まだある別のミシンも処分していない。引き取り手を探しているが、リサイクルショップにゆだねるのは違うような気がするので、身近に裁縫のため必要とする人がいれば、無料で譲るのだが、先日も書いたように掲示板に募集すると、無料だからと「くれくれメール」が殺到した。この現象を見ると拒否反応が現れた。自分は人にミシンを譲ろうとしている気持ちとは裏腹にである。

この感情は、私はミシンを譲った相手に恩を売ろうとしていたのだろうか?(無料で譲ったのだからと)

商売なら、金が媒介するわけだから感情はドライだが、無料でミシンを譲るとなる金が絡まないのと心情的な問題とギブアンドテイクが起こり、譲る代わりに内心、見返りを求めてしまっているのか。

私は、譲ったミシンが誰かのために活用され、そしていつか活用されなくなったときにはまた別の誰かの役に立っていく、連鎖的なことを想起した。たぶん大切に使ってほしいと思っているのだ。

使い方を指定してくる主のミシンをほしいというのは面倒だろうなぁ。大切にしてほしいといいながら己はそのミシンを手放そうとしている。

私の身近な人や関係する友人、知人でミシンを求めている人がいるならその線でアプローチすればいいのだが、いない。孤独だ。

古いミシンなど、誰も要らない。
ほしければ新品、最新機種を買う、と言われそうだ。

古くてもいい、縫えればいい、という人はなかなかいないのかなぁ。古いので、取り扱いは若干不便かもしれない。新型の新機能搭載されているマシンの場合、かゆいところに手が届く。私のじゃ届かない。

使い方や能力には限界があり、その能力をうまく引き出すだけの慣れや技能という「腕」が必要だ。もしかすると、上級者なら使えるかもしれないが、上級者なら上級ミシンを持っているだろう。

書いていて思ったが、少し古いミシンは初心者には到底扱えないのかもしれない。
しかし、そんな暴れ馬に乗ることができたら、縫製技能の幅は広がるのだと思う。

別に急いでいるわけでもなし、きっと探せば見つかると思うので別の角度でアプローチしてみようか。




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